コンテンツへスキップ 投稿日:2022年8月31日/更新日:2025年12月29日
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一人一人が大切な健全な教会-1つの原則

1人はみんなのためにみんなは1人のために

キリストが建てる教会は、一人一人が大切な健全な教会です。御茶の水キリストの教会の野口良哉伝道者が、お互いに助け合う隣人愛についてわかりやすく解き明かしています。

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

コリント人への手紙第一12章26節

さて、新約聖書の福音書の中に、イエス・キリストが一人の中風の人を癒されたというお話が出て参ります。ちなみに、「中風」とは、「現在では脳血管障害(いわゆる脳卒中)のである半身不随、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指す言葉として用いられている」ようです。

一人一人が大切

主イエス様を信じた人々のチームワーク

ところで、その時、四人の友人たちがその中風の人を寝床に寝かせたまま運んで来たといいます。しかも、当時、主イエスがいた家は大勢の人々でごったがえしていたため、友人たちは何と屋根に上り、その家の屋根をはいでまで、その病人を寝床ごと、イエスのもとにつり降ろしたというのでした。一人の病気の友のために、そこまでする友人たちの篤き友情を感じざるを得ません。教会フォーラム

そして、最終的に、主イエスはその中風の人を癒すのですが、その際に、主イエスは何と「彼らの信仰を見て」そうされた、と書かれているのです。要するに、ここでイエス・キリストは、病人本人のみならず、その友人たちの信仰をこそ見て、その中風の人を癒された、と受け止めることもできるのではないでしょうか?・・・このことは、ある意味、一人の人が癒されたり、救われたりするためには、その本人のみならず、その周囲にいる者たちも重要な役割を果たし得るということを意味しているのではないかと思います。

かつて私の知人が心臓に大きな病いを抱え、日本ではその治療が困難だった時に、その友人たちや同僚たちが一つになって多額の募金を呼びかけ、その渡航費や治療費を集め、何とその渡航や治療が実現し、その方が回復したということがありました。ある意味、この聖書のエピソードは、そういうことを示唆しているのではないでしょうか?健全な教会は間違った教えに騙されない-1テモテ4章

一人はみんなのために、みんなは一人のために!

ラグビー競技などでよく言われる言葉、モットーに、「One for All, All for One (一人は皆の為に、皆は一人の為に)!」というものがあります。まさに、その精神で、私たちは、≪共に生きる≫ということをして参りたいと思います。

 あなたの周囲には、あなたの助けや友情、そして、その隣人愛を必要としている、誰か、そんな“一人”はいないでしょうか?そんな“一人”の存在が、みんなのチームワーク、私たちの結束を強めるきっかけにもなり得るのです。  One for All, All for One (一人はみんなのために、みんなは一人のためにに)!

実るほど頭を垂れる稲穂かな

教会の人間関係「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。(マタイ20章26節-27節)新共同訳聖書 聖書協会

いよいよ田畑も色付き、実りの秋を迎えました。いかがお過ごしでしょうか?ところで、御茶の水キリストの教会の創立者のお一人で、宣教師でありましたO. D. ビクスラー先生は、「実るほど、頭を垂れる、稲穂かな」という言葉を座右の銘にされておられました。

「実るほど、頭を垂れる、稲穂かな」。まさに、今、田畑の稲穂はたわわに実り、その重みで頭を垂れている訳ですが、転じて、成熟した人ほど謙虚であるということです。

実は、聖書も、そして、主イエス・キリストもしばしば、私たちに謙虚であることを勧めております。偉くなりたいという弟子たちに対して、こう言われました。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者なりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」。ここからサーヴァント・リーダーシップ、すなわち、「仕える指導者像」という考えも生まれました。

一人一人が大切

トの字に一の書きどころ

こんな言葉があります。「トの字に一の書きどころ」。カタカナの「ト」という字のどこに、漢字の「一」を書くのか、という訳です。カタカナの「ト」は「人」を表わし、漢字の「一」は自分を表わすと思って下さい。人の上に立ちたいと、「ト」の字の上に「一」を書きますと、それは「下」という字になってしまいます。それに対して、謙虚に、まずは人に仕えようと、「ト」の字の下に「一」を書きますと、それは「上」という字になるのです。

主イエス・キリストは「あとの者が先になり、先の者があとになるものです」とも言われておりますが、“まずは仕える者、しもべになりなさいと”の勧めと併せて考えますに、高慢にも上に立とうとする者はかえって下に降ろされることになったり、逆に、謙虚にまず下に降りて行くものがやがて上に上げられるということなのかもしれません。

ちなみに、主イエス・キリストご自身は、まさに、謙虚に、まずは人に仕えようと、「ト」の字の下に「一」を書くような生涯を歩まれ、最終的に、やがて神によって高く「上」に上げられた、と聖書には記されております。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。ピリピ人への手紙2章6~9節 新共同訳聖書 聖書協会

野口良哉伝道者 御茶の水キリストの教会

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