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コンテンツへスキップ 投稿日:2022年11月29日/更新日:2025年12月3日

人間の本能か?人間が争う理由-第1の理由

戦場を走る戦車

いつの時代でも、どんな所でも、人が人を傷つける現実があります。人が人を傷つけ合うのは人間の本能でしょうか。人間の歴史には平和な時代もありましたが、半分以上は紛争と戦争の歴史ではないでしょうか。なぜ私たち人間は、こんなにも争いごとが好きなのでしょうか。人間の争いの理由を紐解いてみます。

人間の本能というテーマは非常に深いものであり、さまざまな観点から探求することができます。例えば、心理学の視点から見ると、人間は自己防衛や生存本能に根ざした行動をとる傾向があります。これは、私たちが危機的な状況に直面した際に、危険を避けるために争う必要があると認識することに起因しています。このような本能は、歴史的にも人間の行動に大きな影響を与えてきました。

このおぞましい人間の本能は、人間の罪に根差しているのです。この記事では歴史上の戦争を省みながら、人間の本能である罪深さを考えてみます。

ロシアのクロアチア侵攻

2022年2月に、ロシアの武力によるクロアチア侵攻が始まりました。両軍の死傷者数は約20万人だと推定されています。なぜこんな戦争が始まったのでしょうか。政治的な事情があるのかもしれませんが、所詮、人間のエゴとしてか言いようがありません。

ロシアのクロアチア侵攻は、その背後にある多くの複雑な要因、たとえば政治的、民族的要因を考える上での良い例です。歴史を振り返ると、国際関係の変化や特定のリーダーシップによる決定が戦争を引き起こすことがあります。たとえば、ロシアの過去の戦争活動を考えると、領土拡張の欲求や民族的な緊張が影響していることがわかります。これらの要因が組み合わさることで、争いが生まれます。

しかし、その大元の理由を考えてみましょう。人間が自己中心という罪によって動かされているに過ぎません。自分たちの領土、勢力を拡張したいという理由で、戦争はいつの時代にもどの地域にも起きているのです。

人間の本能

ネットで調べてみましたが、2000年から2022年の22年間だけで60以上の戦争があります。人間のおぞましい罪が原因です。人間の罪は、戦争のような武力行使だけではありません。北朝鮮の拉致はどうでしょうか。

北朝鮮の拉致

北朝鮮の拉致問題を考えると、おそらく多くの人が大きな憤りを感じてしまうでしょう。拉致された人々のご家族のことを思うと、一人間として何を考えたらいいのでしょうか。

いつの時代でも、人間は政治という魔物に利用されているようです。国家と国家の利害関係の中で、人は踊らせ騙されます。北朝鮮政府は、日本人を拉致することは北朝鮮にとって正当な行いだと考えたのかもしれません。日本への報復措置として、当然だと思ったのでしょう。

北朝鮮の拉致問題も、争いの根底にある人間の本能を考える上で興味深いテーマです。この問題は、単なる政治的な対立以上のものであり、個々の人間の感情や家族の絆に深く根ざしています。拉致された人々の家族の心情を考えると、その苦しみは計り知れません。人間は、愛する者を失うことがどれほど苦痛であるかを理解しているため、このような行為は非常に痛ましいものと捉えられるのです。

拉致された人のご家族の一人の方が、「朝鮮人は日本人をなめている」と発言していました。確かに「日本、眼中になし」が北朝鮮の本音でしょう。このように拉致被害者の家族の方々が、北朝鮮の横暴を非難します。一日も早く自分の息子、娘、父母を返して欲しいと政府に働きかけ訴えています。このようなニュースを知るたびに、私たちはやるせない気持ちになるのではないでしょうか。もし私が拉致被害者と同じ立場にいたら、北朝鮮に対して憎悪の感情をもってしまうかもしれません。

人間の本能

日本の侵略戦争

一方、日本が太平洋戦争で行ってきたことはどうでしょうか。日本は、過去にアジア諸国を侵略したからです。第二次世界大戦中、日本国民は、大日本帝国政府の命令により朝鮮半島、中国、東南アジアまで勢力を伸ばして占領していました。どんなに私たち日本人が弁明しても、他国の領土を侵略した事実を変えることはできません。

第二次世界大戦の末期になった時、政治家たちは絶対に負けると知っていても「勝ち続けている」と偽りの報道をし続けたのです。戦争反対を叫ぶだけでなく、日本人は心から自国の罪深さを省みる必要があると私は思います。

歴史的に見れば、日本の過去の侵略行為もまた、人間の本能がいかにして歪んだ形で表れるかを示しています。人々は、国や民族の名の下に、他者を傷つけることを正当化する傾向があります。このような事例は、個々の人間のエゴが国政や軍事行動に影響を与え、結果として大きな悲劇を生むことがあるという教訓を与えてくれます。

戦争において一般庶民だけが政治に利用されて、犠牲になっているように指摘されますが、実は、政治家たちも自分たちのエゴという怪物に動かされて、侵略戦争や拉致を行っていることに気づいてはいません。

人間の本能

違った視点から、この世界を見てみよう

世界を違った視点から見ることは、私たちが直面する争いごとの解決に向けた第一歩となるかもしれません。国家という枠組みを超えて、人間同士の結びつきを強化し、共通の理解を深めることが重要です。私たちは、他者を理解し、共感することで、争いを防ぐための道を探ることができるのです。

人間の本能は、私たちが持つ最も根本的な感情や欲求に基づいています。これを理解することは、私たちの行動を見直し、より良い社会を築くための第一歩となります。人間の本能を認識し、それを正しい方向に導くことで、私たちは争いを減少させ、より平和な世界を築くことができるのです。

この地球上にある国家という単位は、人間が作り出したものに過ぎません。その小さな単位のなかで右往左往するのはやめて、もっと大きな視点で物事を見ることはできないでしょうか。つまり神様の支配という視点から、見ることはできないでしょうか。

創造主なる神の愛に応えよう

創造主なる神様はすべての民族を愛しておられます。だからこそ、一人子であるイエス・キリストを全人類の罪の贖いのために十字架にかけられました。人間が罪から贖われることを望んだのです。

神様の視点からこの世界を見ることで、私たちは人間の本能に対する新たな理解を得ることができます。神様の愛はすべての人々に向けられており、私たちはその愛に基づき行動することが求められています。人間の本能に従うのではなく、愛の力を持って互いに接することが、争いを減少させる鍵となるでしょう。

同時に次の重要な真理を心に刻んでおきましょう。神様がすべての民族、すべての国々、すべての人々を裁く時がもうすぐ来ます。「その時まで辛抱強く、朝鮮の人々にも日本の人々にも、神様の愛を伝えていく」ことが、クリスチャンの役目だと思うのです。 拉致された人々の中には、すでに死亡してしまった人たちもいる、と報道されています。その成否はまだわかりません。しかし明らかな真実が1つある、と私は信じております。神様はすべてをご存じです。遅かれ早かれ、神様がすべての人間を裁くときが来るということです。

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