コンテンツへスキップ 投稿日:2022年4月25日/更新日:2025年3月7日

聖書の観点から見る人間の遺伝子の秘密

人間と犬が向かい合っている

人間の遺伝子について聖書の観点から考えてみます。この記事の目的は、人間のアイデンティティーは何なのか、どこにあるのかを探り、私たち人間がこの地上で生かされている意味について考えます。私たち人間は、猫や犬、ライオンやゾウといった動物とどう違うのでしょうか。管理人は、生物学には無知ですので生物的な進化ではなく、現実社会を観察して人間の進化について考察します。

外務リンク 人間も動物の一種だという自覚がない人多くないですか?

神の創造

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。創世記1章26-31節 聖書協会

聖書によれば、人は神に似せられた者として動植物とは区別されて神によって創造されたのですが、これは本当でしょうか。これが嘘であれば、私たち人間は、土の中に生きているミミズと同じように、本能のままに生きていけばいいのです。しかし、どう考えても、私には自分がミミズと同じ目的と本分をもっているとは考えにくいのです。生命だけの観点から見れば、ミミズも人間も違いがない?とも言えますが、生命の形状が違います。生命の目的が違います。

「人間は神に似せられた者として、動植物とは区別されて、神によって創造された」と書きましたが、この文から「神と創造」を削除して考えてみたらどうでしょうか。「人間は動植物とは区別されて存在している」と考えられないでしょうか。もし「人間は他の動物と何ら変わりがない動物の一種である」と主張するにであれば、人間と動物の違いをどのように説明できるのでしょうか。

人間の遺伝子と進化

進化論によれば、人間は類人猿の一種であると言われています。人は数億年前には猿と同じよういに、手をついて歩いていたそうです。そして時間の経過とともに、人は進化して4つ足歩行から2本の足で歩くようになったと。肉体的な遺伝子が徐々に変化を遂げて、~~人が人間になっていたという訳です。

管理人には微々たる知識しかないですが、約5000年の人類の歴史を辿る時、人間の遺伝子が進化してきたとは考えられません。数千年前から、人間は何ら変わりはないように思えるのです。無論、肉体の変化、たとえば日本人の平均身長は戦前の時代よりも10㎝以上も伸びていると思われますが、それは遺伝子そのものを組み替えてしまうような変化ではないように思えます。

むしろ、「人は神に似せられた者として動物とは区別されて創造された」と考える方が、宗教ナシにして考えても一番理論的なのではないでしょうか。

霊的な遺伝子はどうでしょうか。人間の命には肉体的な命と霊的な命があると管理人は信じています。その霊的な遺伝子についていえば、人間は神が天地万物を創造されて以来、何ら変わっていないようです。(いつ天地万物が創造されたのかはわかりませんが、、、、)

古来から人間を観察した名言がたくさんあります。そのいくつかを挙げてみましょう。引用元:「人を動かす名言名句大事典」世界文化社、1991年

  • 人間は考える葦である(17世紀のフランスの哲学者パスカル)
  • 神は行動しない者には決して手を差し伸べない(ソフォクレス、前5世紀のギリシャの詩人)
  • 力は正義である(プラトン、前5世紀のギリシャの哲学者)
  • 巧言令色鮮し仁(孔子、論語。大体の意味は、口先でうまいことを言ったり、人に気に入られようとして優しそうに表面を取り繕う者は、人間として基本的に大切な仁が欠けている。)
  • 賢を立つること方無し。立賢無力。(孟子。大体の意味は、賢人を採用するのに決まりはない)

数千年前の言葉が、昔と変わりなく現代社会に語り掛けています。なぜなら、人間の霊的な遺伝子が変わってないからです。科学が発達して生活が非常に便利になりましたが、人間社会が抱えている問題は、未だ変わりはないのです。

聖書と進化論

人間の遺伝子、人間の支配

1.自然界における人間の影響力

動物を含めた世界に目を向けてみると、「なぜ人間だけが他の動植物とは違うのだろうか」とは思えないでしょうか。人間は、他の動植物とは違う特質をもっています。単に自然淘汰されて、人間が他の動植物を支配しているようになっているのでしょうか。

聖書によれば、人間は自然界を支配するように定められています。人間が、いつの時代もどの文化でも動植物を支配しています。この事実だけでも、人間が動物とは違うという証明になるのではないでしょうか。

2.人間が自然界に及ぼす悪影響

浜辺のゴミの山

人間は、本来、自然と調和するように造られました。しかし、人間は自然を破壊するだけで自然と共存できていません。人間は空気を汚染し、世界中の森林を破壊しています。動植物の住まいを奪い去ってしまっています。その結果は地球温暖化です。

私たち人間は誰でも、神を信じていなくても、神が創造した自然の恵みに感謝します。同時に、その自然を破壊して、動物にとっても人間にとっても、住みにくい世界にしているのです。地球温暖化に付随するように、食糧不足が懸念されています。これらの悪影響は、動物たちが作り出したものではありません。人間だけが成せるわざなのです。

創造されたそれぞれの生命の特異性

1.動物の弱肉強食 vs 人間の弱肉強食

私たち人間が生きている目的は何でしょうか。ある人の人間の本分の定義には、「種の保存です。遺伝子を残し、子孫を残すことこそ生物の本分」と書かれていました。この意味では、人間は他の動植物と変わらないわけです。

進化論の観点から言えば、人間も土の中にいるミミズも存在意義に変わりはありません。人間の本分もミミズの本分も同じです。しかし、自然社会から、生物の命の現実を見てみましょう。人間以外の他の動植物が、子孫繁栄の下に弱肉強食の世界で生きているのは確かな事実でしょう。

寝ているライオン

動植物の世界では、強い者が生き残るという原則があります。この原則に悪は存在しません。子孫繁栄という原則、子孫を残すことこそ動植物の本分だからです。動植物の世界では弱肉強食は悪ではありません。

しかし、人間社会では、弱肉強食は悪です。弱い人を助けないのは、人間社会では悪です。どこの国、いつの時代でも悪です。なぜなら、人間の心には良心があるからです。人間は娯楽のために動物を殺します。猟です。日本ではあまりポピュラーな娯楽ではありませんが、アメリカでは男性の娯楽としてとてもポピュラーです。

動物たちは、娯楽のために他の動物を殺すことはありません。お腹がいっぱいのライオンはどうでしょうか。鹿がそばを通っても寝ています。動物は、子孫繁栄の本能のもとに生きているからです。

2.動物の創造力 vs 人間の創造力

人間の本分

人間の創造力と動物の創造力に違いはあるのでしょうか。たとえば、ハチは、ハチの巣を造ることができます。人間がすべての科学技術を使ったとしても、ハチ以上に精密に作ることはできません。しかし、ハチはハチの巣しか造れません。それに特化しているんです。クモは、クモの巣を造ることが出来ます。これらの動物や昆虫は、それぞれ特化した技術を持っていますが、それ以外の物は造れません。

しかし、人間は様々な物を造る創造力が与えられています。古代から様々な文化で、いろいろなものが発明されてきました。科学技術によって私たち人間は、多くの物質的な恵みを受けています。これらの技術革新や発明は、人間が創造主なる神から受けている創造力によってなされているのです。

3.人間だけが持っている理性と善悪の基準

犬を観察していると、彼らにも判断する能力があるとわかります。感情もあるようです。しかし、犬の善悪の判断は、飼い主である人間に委ねられています。犬には、人間がもっているような理性と善悪の基準はありません。人間だけがもっているものです。

人間には、動物を支配する権威が与えられています。どのように動物を人間は支配しているのでしょうか。動物園にいる動物を、どのように飼育員たちはトレーニングするのでしょうか。食べ物を使って、動物の本能に訴えているのです。飼育委員のいうとおりに従えば、ご褒美として食べ物を与えます。このような訓練は、人間が理性によってなせるわざなのです。

4.人間だけが持っている罪深い心

アメリカの犬は、日本の犬と違うのでしょうか。アメリカの犬はどこか明るくて、日本の犬は控えめということはあるのでしょうか。そんなことはありません。どこの国に行っても犬は、犬なのです。犬の性質をもっています。人間も、実は同じです。文化は様々ですが、人間が考えることはいっしょです。

各国の世界地図を見てください。どこの国の世界地図も、必ずその国が真ん中に位置されています。つまり人間は、国単位でも個人単位でも自己中心的なのです。この人間の性質に、人種の差や文化の差などありません。みんな人間は、同じように罪深い心を持っているのです。

世界中のどの争いごとも、元をたどれば「自分は正しい。自分には正義がある。相手は間違っている」という考えから始まっています。2人の人間または国が、お互いにそのように考えていたら、必然的に争いになるに決まっています。

動物は、このような善悪の判断基準では争いません。動物は、子孫繁栄というサバイバルのために争うのです。たとえば、2匹の雄ヘビが、命をかけて死ぬほどまでに戦うのはなぜでしょうか。動物の雄は、何の動物であろうとも、子孫繫栄という本能のままに戦っているからです。なぜ人間は、これほど動物と違うのでしょうか。その答えは、私たち人間が創られた原点にあります。

人間の遺伝子と進化を聖書を元に考えてみましたが、読者の皆様はどのようにお考えでしょうか。ご感想などありましたら、お寄せください。

最近の投稿