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コンテンツへスキップ 投稿日:2021年12月7日/更新日:2025年11月16日

宗教に入る理由、1つの理由-キリストに出会う

宗教に入り祈る人々

なぜ宗教に入るのか?宗教に入る理由は?宗教嫌いの人が多い日本において、なぜこれだけ新興宗教が流行るのでしょうか。その深層心理は、誰にもわからないでしょう。しかし、宗教に入るきっかけは?という質問には答えられます。

日本の社会における宗教の役割は、多様な文化や価値観の中でとても重要です。特に新興宗教は、時に社会問題として取り上げられることもありますが、その背景には人々の深い精神的な追求があることが理解できます。人々が宗教に求めるものは、安心感やコミュニティとの結びつき、そして存在意義を見出すことです。

五木寛之氏が答える「なぜ宗教に入るのか」

五木寛之氏は、「人生の目的」という著書の中で、宗教を信じる事について次のように書いています。

しかし、自分以外の人がつくった物語を本当に信じられるためには、そのつくった人を尊敬できなければならない。共感し、愛さなくては、信じられない。だから信仰や宗教は、競技からはじまるのではなく、その偉大な物語をつくり、それを信じて生きた人への共感と尊敬と愛からはじまる。五木寛之氏の著書「人生の目的」の紹介

宗教に入るきっかけとして、かなり的を得ています。すべての宗教に当てはまります。オウム真理教のようなカルト宗教の信者たちの間でも、尊敬と共感と愛が生まれていたはずです。この尊敬と共感と愛が、一つの絆となって信者たちを結び付けていきます。カルトの場合は、縛り付けていくのです。このように考えますと、「宗教って怖い」と実感できるのではないでしょうか。

五木寛之氏の著書には、宗教に入る理由として、個人の経験や状況が大きな影響を与えると述べられています。例えば、人生の転機や困難な時期に支えを求めた結果、宗教に向かうことがあるということです。特に日本では、厳しい社会環境が宗教の需要を高めています。

また、五木氏は、宗教がもたらす共感や愛が、どのように人々の心を結びつけているのかを深く考察しています。例えば、宗教行事を通じて人々が一つの目的に向かって協力する姿は、信仰の力を感じさせます。これらの経験は、信仰の強さを育む土壌となります。

信仰や宗教がもたらす影響は、個人にとっても、コミュニティ全体にとっても計り知れません。特に、新興宗教においては、教義や信仰の実践を通じて強い結びつきが形成され、信者同士の絆が深まることが多いです。これらの絆は、時に強いストレスや社会的な孤立を和らげる役割を果たします。

カルト宗教の集団で祈る人々

なぜ宗教に入るのか? クリスチャンの信仰の場合は?

では、クリスチャンはどうなんでしょうか。なぜクリスチャンは、キリストを信じるのでしょうか。「キリスト教は健全な宗教だから、盲目的な信仰などない」と誰も言い切れはしません。もし言い切る人がいれば、それこそ盲目的な信仰です。

クリスチャンが信仰を持つ理由は、多様です。例えば、家庭環境や友人の影響、精神的な安定を求める気持ちなどがあります。これらの要因が複雑に絡み合い、個々の信仰の形成に寄与します。クリスチャンにとって、イエス・キリストと個人的な関係を築くことは、精神的な支柱となるのです。

盲目的に信じるとは、「何も検証せずに信じてしまう」愚かな行為です。「この人が信じているから本当に違いない」と考えるような信仰です。牧師の言葉を何の検証もせずに鵜呑みにして信じていたら、盲目的な信仰と指摘されても仕方ないでしょう。たとえ、それが命がけの信仰だとしても、それはカルト的宗教の信仰に過ぎません。

では盲目的な信仰にならないためには、わたしたちは何をすべきでしょうか。教会へ行けば、牧師の説教を神の御言葉として、聞くことになります。教会の雰囲気にもよりますが、周りの人たちが疑いもなく信じていれば、無意識にそれに歩調を合わせるでしょう。だから、自分の信仰を検証する必要があるのです。

したがって、クリスチャンは日々の生活の中で、イエス・キリストの教えを実践し、他者に愛を示すことが大切です。このような行動が、彼らの信仰をより一層深めることに繋がります。信仰は一人一人の生き方に影響を与え、社会全体にも良い影響をもたらすのです。

信仰において盲目的な信仰を避けるためには、自らの信仰を常に問い直すことが求められます。例えば、聖書を読むことや、教会の活動に参加することで、自分の信仰を見つめ直す機会を持つことが大切です。これにより、自分自身の信仰を深めることができます。

また、多くのクリスチャンは、生活の中で信仰を実践することで、日々の困難に対処しています。例えば、職場や家庭での問題に直面したとき、祈りや聖書の言葉が彼らの支えとなります。このように、信仰はただの教義ではなく、実生活に深く根付いたものであることが重要です。

宗教に入る理由

クリスチャンの信仰はイエス・キリストの個人的な関係に基づく

クリスチャンの信仰は、イエス・キリストとの個人的な関係に基づいています。信仰とは個人的なものです。しかし、クリスチャンが、なぜイエス・キリストを信じるかと友人に問われたら、何と答えるのでしょうか。クリスチャンには答える義務があります。信仰が公になるときです。だからこそ、クリスチャンは、何を、なぜ信じているのかを知らなけらばなりません。

イエス・キリストは、今も生きています。「クリスチャンの心に生きている」と主張するのであれば、他の宗教と変わりはありません。「仏様は仏教徒の心に生きている」訳ですから。イエス・キリストは生きている、天にいらして天地万物を支配しておられます。この世で悪を働く悪魔の力さえ、主イエス様の支配下にあります。人間の自由を尊重するために、悪魔を自由に活動させているのです。

しかし、イエス・キリストはすべての人間を裁くために、いつか再臨されます。これがクリスチャンの信仰です。キリストの言葉を信じた信仰です。牧師や誰か他の人に言われたので信じているのではありません。キリストの言葉を聞いて信じた信仰です。

イエス・キリストの再臨についての信仰は、クリスチャンの希望の源です。多くのクリスチャンにとって、再臨は救済の約束であり、信仰の強さを試す出来事でもあります。再臨の教義は、彼らの信仰生活において非常に重要な位置を占めているのです。

個人的な関係に基づく信仰は、他者との関わりも深めるきっかけになります。友人や家族に対して、自分の信仰を語ることで、新たな理解や共感を生むことができます。これにより、信仰の輪が広がり、より多くの人々に影響を与えることが可能です。

クリスチャンの信仰は、単なる信念ではなく、実際の行動に結びついているべきです。例えば、地域貢献や奉仕活動を通じて、自分の信仰を実践することが求められます。このような活動を通じて、信仰を社会に還元することができるのです。

教会での女性の働き

このように、宗教・信仰に入るきっかけについて多くの視点から考察しました。そして、盲目的な信仰と、クリスチャンの信仰の本質についてもお話ししました。最終的には、宗教に入る理由が私たちに何をもたらすのかを理解することが重要です。私たちの信仰が、どのように人生を豊かにし、他者との関わりを深めるのかを考え続けることが大切です。宗教に入る理由、そしてその先にある意味を追求し続けることが、私たち一人一人に求められています。

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