あなたは縁起を担ぎますか。日本には古くから「縁起を担ぐ」という慣習があります。この慣習は、私たちの生活に深く根付いています。では、その由来や意味について詳しく考えてみましょう。縁起を担ぐことは、私たちの日々の行動や考え方にどのように影響を与えているのでしょうか。演技を担ぐことは、クリスチャンに許されているのでしょうか。
1.日本人だから、縁起を担ぐ?
『縁起』という慣習は結構厄介なものです。結婚式や葬式の日取りを決めるのも厄介な仕事です。こうした儀式には、特定の日が縁起が良いとされるため、多くの人がその日を選ぶ傾向があります。例えば、休日や記念日など、人々が集まりやすい日を選ぶことが多いです。変に西洋化した日本人が、普段見ていない日本の暦を見るのもこの時だけかもしれません。実は 『縁起』とは結婚する当人にとってはどうでもいい事かもしれませんが、むしろ周囲の人間の方が気にしているのです。葬式にしてもしかりです。亡くなった本人はこの世にいないわけですから、どうもこうもいえない立場です。しかし、遺族や親族は、故人に対する敬意を表すために、適切な日取りを選ぶことが求められます。
日本には、数限りない迷信があります。これらの迷信は日本人の行儀や作法にも深い影響を与えています。たとえば箸の使い方に関するルールがあります。箸を立てる、または刺して食べるような食べ方はNGです。立て箸は、お葬式を連想させ縁起が悪いからです。このような細かいルールは、日常生活においても意識され、食事の場での振る舞いに影響を与えています。日本の食文化においては、こうしたマナーが非常に重要視されているのです。
勝負の世界では、「縁起を担ぐ」人が多いかもしれませんが、結局のところ、「縁起を担いでも負ける時は負ける」と納得してやめる人もいるようです。将棋の久保利明9段がAmebaの将棋解説をなさっていた時に、そのように述懐していました。スポーツ選手や競技者の中には、特定のルーチンや儀式を持つことが多く、それによって自分の気持ちを整えることが一つの戦略になっていることもあります。例えば、特定の服装や道具を使うことで自信を持つ人もいます。

2.人の人生は縁起を担ぐことにより左右されるのか?
人の人生は、縁起をかつぐことによって左右されているのでしょうか。あるいは運や不運で左右されているのでしょうか。もし縁起や運を信じていれば、いろいろな所にお参りをしなければなりません。日本には神社や寺院がたくさんあり、それぞれにご利益があるとされています。悪い事が続くのは祟りがあるのではないか?と考えたりします。家の方向が悪いのでは?名前の字画が悪いのでは?実際に、私は、神社に行ってお清めをしてもらった人を知っています。それでも悪いことは続いているような気がして、不安になり他の祈祷師にお願いしたそうです。このように、迷信や縁起を気にすることは、多くの人々にとって日常的な行為となっています。
また、ある人はパワースポットがあると聞けば、その場所まで行きパワーをもらってきます。パワースポットは自然の中に存在し、多くの人々が訪れる場所として広く知られています。パワーストーンも買うかもしれません。お守り10個も持っている人もいますが、こうした行動は、心の安定を求めるための手段であるとも言えます。自分自身の運を引き寄せるために、これらのアイテムを信じている人も少なくありません。
多くの方々が迷信を信じているゆえでしょうか。幸運を呼ぶハンコウや財布が、公然と売られています。実際に買う人たくさんいるんでしょう。それが証拠に、このような広告は消え去りません。私たち人間は、様々な迷信によって右往左往させられている操り人形でしょうか。もちろん、こうしたアイテムを持つことで気持ちが楽になる人もいるでしょうが、果たしてそれに頼りすぎることが本当に良いのでしょうか?迷信に依存することで、自分の力を発揮できなくなることも考えられます。

結論 縁起は担ぎません
人間には自由意志があります。どのようにこの人生を生きるのかを、人それぞれが決めるのです。誰も他の人のために決めることはありません。人生は選択の連続であり、私たちの行動が未来を形作ります。人間の命の不思議は、その誕生にもありますが、その命をどのように使うかによって決まって来る人生模様にもあるのではないでしょうか。
まったく同じような経験をしている2人でも、まったく違った道を歩みます。試練を人生の肥やしに変える人もいれば、その逆に自暴自棄になる人もいます。ある人は、自分で出来る、またやるべき事が山ほどあるのに何もやらず、一獲千金を夢見てあらゆる迷信に願をかけて一生を終えます。迷信に願掛けし続ける人は、まさに迷信の操り人形です。自分の自由意思で願掛けしていますが、その一生は、自由がない奴隷といえるのではないでしょうか。人生においては、自分自身で考え行動することが最も重要です。

勝負の世界の人々が証言しているように、そのような迷信に願をかけたからといっても、何ら影響はありません。実際にそのような迷信に力はないからです。重要なのは、私たち自身がどのように努力し、目標を達成するかということです。周囲の迷信に惑わされず、自分の力を信じることが、人生を切り開く鍵となるでしょう。
人生には山あり谷あり。願をかけても縁起を担いても、何も変わりはありません。迷信深い人は、そこまで割り切って考えられないでしょう。しかし、人生は実験です。ちょっと不安であっても、縁起を担ぐのを一時的にやめてみましょう。何か悪い事が起きたでしょうか。実は、何も変わりはありません。相変わらず、山あり谷ありの人生です。私たちの行動が、未来を形作るのです。ですから、「縁起を担ぎますか」と自問自答し、自分の道を見つけることが重要です。
