自己中心と人間の知恵とは表裏一体です。人間の愚かさは、自己中心的な人間の知恵にあります。知恵には、良い意味でも悪い意味でも、いろいろな意味合いがあります。たとえば悪い意味では、悪賢いとか悪知恵という言葉があります。このような知恵は、時に私たちの判断を曇らせ、誤った選択をさせることがあります。
自己中心的な思考は、私たちの人間関係にも影響を与えます。たとえば、職場での協力が必要な場面において、自分自身の利益を優先するあまり、チーム全体の目標を無視してしまうことがあります。このような行動は、最終的には自分自身にも不利益をもたらすことが多いのです。
人間の知恵と神の知恵を対比するためには、まず人間の知恵がどのように形成されるのかを考える必要があります。教育や経験、社会的な影響は、私たちの知恵に大きく寄与します。しかし、これらは必ずしも真実に基づいているわけではなく、時には誤解や偏見を生むこともあります。
自己中心的な人間の愚かさは、社会全体にも悪影響を及ぼします。例えば、環境問題や社会問題に対して無関心でいることは、未来の世代に大きな負担をかけることになります。私たちが自己中心的に行動すると、他人や環境を軽視し、持続可能な解決策が見失われてしまいます。
知恵は、悪い意味でも使われますが、なぜでしょうか。それは人間自身、知恵を悪用していることに気づいているからです。このページでは人間の知恵と神の知恵を対比します。読み終わった後、神の知恵の素晴らしさを知っていただけたら幸いです。

自己中心的な人間の愚かさとその影響
(1)影響その1。このように、自己中心的な考え方は短期的には利益を得ることができたとしても、長期的には自分自身を傷つける結果を招くことが多いです。人間関係が悪化し、信頼を失うことで、孤立感が募ります。最終的には、自己中心的な行動が自分自身を孤独に追い込む結果となるのです。
あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。ヤコブ3章13-16節 聖書協会
(2)影響その2.多くの場合、人間の知恵は、自分自身を高めることに焦点が当てられます。自分よりも優れた人と比較して、その人より高い位置に行こうとするでしょう。これを向上心です。この向上心には、副作用があります。劣っていれば内心ねたみ、優れていれば自慢するのです。人よりも上に行けるか行けないかは、知恵にかかっています。この世の中ではズル賢くても悪知恵でも、上に行けば賢いと思われるのです。
2~3歳児の幼児に「知恵がついてきた」と、親や祖父母が言う時があります。どのような場合に使われるのでしょうか。幼児も成長するにつれて、自分の利益になることを、他の人のニーズを無視してでも選ぶようになります。この表現にまったく悪意はありませんが、人間の成長過程の一つとして表現されるようです。
(3)影響その3。人間の知恵は、自分を高ぶらせます。プライドが心に生まれます。他の人を蔑む事さえ可能にします。「世界は自分を中心に回っている」を口にこそ出して言いませんが、私たち人間はこのような感覚で行動することがあるのです。しかしこのような人間の知恵は、神の知恵とは程遠いのです。

さらに、自己中心的な行動は、私たちが持つ知恵の使い方にも影響します。人は時に、他者を思いやる知恵よりも、自分の利益を優先する知恵を選びがちです。これにより、社会全体が冷たくなり、絆が薄れてしまうことにつながります。知恵は悪用されることもありますが、その本来の目的は他者を助けることであるべきです。
主イエス・キリストが示した神の知恵
主イエス・キリストが示された神の知恵は、私たちにとって重要な指針です。神の知恵は、自己中心的ではなく、他者を思いやる心を持っています。そのため、神の知恵に従った行動は、私たちを幸せにするだけでなく、周囲の人々にも良い影響を与えるのです。
神が私たちに求めているのは愛であり、自己中心的な考えではありません。隣人を愛し、自分を大切にすることで、より良い社会を築くことができるのです。このように、神の知恵は私たちを正しい方向に導いてくれます。
上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。ヤコブ3章17-18節 聖書協会
まず最初に、神の知恵は自己中心的ではありません。自分が中心にはいません。すべての人間に愛を注がれる神が、中心にいます。神の知恵によって、人間は神によって創造された存在として生きることができるのです。主イエス・キリストは、神の知恵を示されました。一番大切な戒めとして2つを挙げています(マルコ12章30-31節)。
- 神を心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
- 隣人を自分のように愛しなさい。
神が人間に与える知恵は、縦の関係と横の関係で成り立っています。

神は、人間一人一人を平等に愛しています。神にえこひいきなどありません。すべての人々が愛されているのです。「自分だけ良ければいい」という利己主義的な考えは皆無です。神が愛している人を、誰がバカにできるでしょうか。愛と忍耐によって接するべきです。神の知恵は、愛に満ちており柔和であり純粋です。
最終的に、自己中心の愚かさを克服し、神の知恵に従うことが私たちの人生において重要です。周囲の人々と良好な関係を築き、社会全体の幸福を考えることで、私たちは本当に豊かな人生を送ることができるのです。自己中心的であることがもたらす結果を理解し、神の知恵を受け入れることで、より良い未来を築いていくことができるでしょう。
主イエス・キリストは、自ら十字架にかけられることによって、究極的に「神の知恵」を示されました。友人のために、自分自身を犠牲にする神の愛と知恵が啓示されたのです。この世はイエス・キリストの十字架を、単なるキリスト教のシンボルとして捉えています。神の愛も知恵も無視し続けています。殺伐とした世の中だからこそ、現代日本人は神の知恵を必要としているのではないでしょうか。
