祈りとは何でしょうか。「神様との会話」とも言われますが、では、神様に向かって何を話すことなのでしょうか。「なんでもいい」という声が聞こえてきそうですが、神様との「おしゃべり」なのでしょうか。今日は、改めて祈りとは何かを考える手立てとして、祈る時の心の姿勢について考えてみたいと思います。そして、民を代表し、王として、素晴らしい祈りをささげたソロモンを観察してみたいと思います。列王記第一8章12-26節を読んでみましょう。
神はどういうお方か
今日のソロモンの祈りは、神殿工事が終わり、いよいよ奉献式が行われるという場面です。イスラエルの長老たちが召集され、「主の契約の箱」が神殿の奥深い至聖所と呼ばれるところに運び入れられました。箱を設置し終わった祭司たちが出てきたとき、「雲が主の宮に満ちた」…つまり、神が「わたしは確かにここにいる」と、そのご臨在を示されたのです。
この神のご臨在を受けてソロモンが式辞を述べます。(列王記第一 8章12-13節)実は、七十人訳聖書というへブル語からギリシア語に訳された最も古い聖書には、ここにはない言葉があります。それに従って補うと、次のようになります。「主は、太陽を天に置かれましたが、黒雲の中に住むと言われました。」
この「太陽を天に置かれた」という言葉がなかったとしても、「太陽を天に置かれた」のは創造主なる神であることを私たちは知っています。しかし、当時の人々にとっては、エジプトなどが太陽を神として拝んでいる中で「その太陽でさえ主が造られたものにすぎない」と覚えることには大きな意味があったでしょう。そして、その大いなる神のお姿は見えない。神はご自身を決してお見せにならない。しかし、確かにそこにおられるしるしとして「雲が主の宮に満ちた」のを目の当たりにしては、どれほど神に対する恐れを持ったことで しょうか。
祈りのポーズ
「祈りの姿勢=心がまえ、態度」について考える前に、まず、文字通り「祈りの姿勢=ポーズ」について考えてみたいと思います。ある集会で、どのような姿勢(ポーズ)で祈っているかをシェアし合ったことがあるのですが、実にバラエティ豊かであることがわかりました。目を開ける人、閉じる人。頭を垂れる人、前を向いている人。手を組み合わせる人、上げる人、何もしない人…。いろいろな祈り方があって面白いですね。さらに、祈りは起きている時にも寝ている時にもできますから、一人の人でもいろんなポーズで祈っておられると思います。
なぜ、そのようなポーズで祈っているのか。二つのことに思い当たります。一つは、自分が集中しやすい姿勢で祈っているということです。もう一つは、自分の気持ちが姿勢に表れ出ているという側面です。リラックスしている時には緩やかに手を組んでいるけれど、必死に祈る時は固く手が組まれて体も縮こまっている…というようなことです。
ソロモンの祈りの姿勢
さあ、そこで、目に留まったのが今日のソロモンの祈りの姿勢です。ソロモンは、イスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、天に向かって、両手を伸べ広げて、こう言った。(8:22-23a)「天に向かって、両手を伸べ広げて」祈る・・・。よく考えてみると、聖書には、手を合わせて祈る、手を組んで祈るという表現は出てきませんが、手を上げて祈っているものは見受けられます。喜び賛美している祈りにも、苦しみの中で助けを求める祈りにも、両手を神に伸ばして祈っているものがあります。
ここで使われている「手」というのは「掌」という言葉です。掌というのは「たなごころ」とも言われます。もともと「手の心」だったものが転じて「たなごころ」と呼ばれるようになったそうです。開かれた手は開かれた心の象徴です。人から開いた手を差し出されるとほっとしますし、「初めまして」と手を差し出されてする握手は開かれた心同士の温かな交わりですよね。ソロモンが神に向かって伸べ広げた手のひらは、神に心を開き、神との温かな交わりを求める…そういう手だったのではないでしょうか。
同時に、ソロモンには恐れもあったでしょう。太陽を造られたお方が自分の造った神殿に住んでくださる、その証拠に「主の宮に雲が満ちた」、これを目の当たりにしたソロモンは、大いに恐れたに違いありません。手を上げるしぐさで「降参」を表すことができるように、ソロモンは神の偉大さに圧倒される思いを持って いました。神の前に自分の小ささや弱さを思い、恐れ畏む心を持っていました。それは、ソロモンの祈りの 最初の言葉からも伝わってきます。列王記第一 8章23節
私たちはどうでしょうか。自分が祈りをささげている神とは、一体どのようなお方であるのか…。このことをどれくらい意識しているでしょうか。伝道者の書にはこのような言葉があります。伝道者の書5章2節
これは、ふさわしい祈りをささげるために、良い言葉を選びなさいとか、前もって祈りの言葉を準備しなさいということではありません。神の前に祈るからには、まず静まり、私たちの祈りに耳を傾けておられる方がどのようなお方であるか…それを思うところから始めなさい、ということです。
神の恵みと真実
私たちはどのようなお方に祈るのか。一つは、「上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません」とソロモンが言ったように、すべてを超越し、すべてを治めておられるお方です。さらに、神はどのようなお方であるのか、続くソロモンの言葉を見てみましょう。列王記第一8章12-26節
神は、約束を必ず守られるお方です。約束を変えたり破棄したりはなさいません。永遠の愛をもって、語られたことを必ず成し遂げてくださいます。神はダビデに言われたとおり、「ダビデの腰から生まれ出る子がわたしのために家を建てる」という約束を守ってくださいました。ソロモンは、「自分が」神殿を建てたのではなく、「主が」「御手をもって成し遂げられました」と告白しています。ソロモンには、神が父ダビデに語られたように、自分が生まれてきたこと、王位を引き継いだこと、神殿を建てたこと…それらすべてについて、神は約束されたことをすべて成し遂げてくださったという実感がありました。神の恵み深いご性質と、約束に誠実であるご性質を実感を伴って知っていたのです。
ソロモンは、父ダビデやソロモンだけではなく、民全体が「心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたち」であり、約束と恵みに与る幸いな者だと認識しています。14節から21節まではソロモンが民を祝福している言葉ですが、「神の恵みがありますように」「平安がありますように」という幸いを願う内容ではありません。そうではなく、出エジプトやダビデへの約束に触れながら、「あなたがたは神の民である」「神は約束を守られた。これからも守られる」、そのように祝福の宣言をしているのです。
私たちも、自分の人生の中でかつて神が自分にしてくださったことを振り返り、神の恵みを思ったり、神の約束の確かさを味わうことがありますよね。そして、神のことばである聖書を開くたび、神からの祝福の宣言に出会います。「あなたがたは神によって生まれた」「あなたがたは神の子どもである」「あなたがたは永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っている」「あなたがたの国籍は天にある」
「あなたがたは神の宮である」・・・。
このような恵みに満ちた約束をし、ご自分の口から出たことばを必ず守られる方。このお方が私たちの神なのです。
《自分の願い < 神のことばが堅く立つこと》 さて、ソロモンの祈りの続きを見てみましょう。
神の御前に静まり手を神へと伸べ広げたソロモン。神の声を聞こうと心開き、恐れ畏みつつ、神の恵みと真実というご性質を賛美し、いよいよ、「そこで今、イスラエルの神、主よ。」と神に迫ります。ダビデから生まれた自分が神殿を建てるという約束は成し遂げられました。
ソロモンはそこで、もう一つの約束である「あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない」という約束、つまりダビデ王朝が永遠に続くという約束をも守ってくださるよう迫るのです。「今、イスラエルの神よ」と言葉を重ねているところに、ソロモンの執拗とも言える熱心さが感じ取れます。このソロモンの祈りは、ここに来て急に拝み倒しているのではありません。「(あなたの)おことばが堅く立てられますように」。ソロモンは、自分の願いであるダビデ王朝が永遠に存続することがかなうことは、神のみことばが立てられることだと言っているのです。
この「神の言葉が堅く立てられますように」という祈りは、主の祈りの「御心がなりますように」を思い起こさせます。しかし、どうでしょうか。私たちは、ソロモンのように、自分の願いを申し上げながら、その願いに応えてくださることは、あなたの御心がなることです…そんな確信を持ち、自分の願いと神の御心を結びつけて祈っているでしょうか。
まとめ:神を思うことから始め、神の栄光で終わる祈り
祈りは、自分の思いからではなく、神を知ることから始めなければなりません。自分から始める祈りは、自分の側に神を引き寄せ、自分なりの神を見ることになりかねません。祈りは瞑想ではありません。自分一人で心の内に思いを巡らし自らを制御する・・・そのようなものではないのです。祈りは、神との交わりです。ですから、神のご臨在に心を留めることから始まるのです。
「神の前では、軽々しく 心焦ってことばを出すな。」御前に静まり、天に向かって、両手を伸べ広げたソロモン。彼の祈りの姿勢から私たちは多くを学ぶことができます。
・心静まる。自分の願いから始めず、神のご臨在に目を留める。
・偉大な神の前に恐れ畏みつつ、聞く。
・神のご性質、その恵み深さ、約束を守ってくださる誠実さを賛美する。
このように祈り始めれば、私たちの祈りは自ずと整えられ、自分の願いと御心とが一つに結ばれていくでしょう。そして、神の栄光へと導かれていくのです。ソロモンの祈りを聞かれた神は、ソロモンに「あなたの祈りと願いを聞いた」言われ、建てられた神殿にいつも神の目と心があること、神の道を歩むなら約束を守ることを約束されました。神は聞いてくださる方、約束を守られる方です。そのような神に祈るのだということをまず覚えて祈れば、私たちの祈りの生活は豊かになっていくのではないでしょうか。
