いまだかつて、神を見た者はいません。しかし父のふところにいる独り子である神は、天から降りて来た方です。どのように、キリストは神の御心を示したのでしょうか。ヨハネ3章9-15節を読んでみましょう。
ユダヤ教の教師であるニコデモの疑問
「新たに生まれる」という概念は、ユダヤ教の伝統に縛られていたニコデモにとって不可解でした。ですから、彼は二度も主イエスに「どうしてそんなことが可能なのか」と問いかけます。私たち人間は、肉体をもって生かされています。必然的に、目に見るものでしか判断できません。
「人が新たに生まれる、新しく造り変えられる」のは、神の霊的な働きです。肉から生まれる者は肉です。霊から生まれる者は、霊です。神の聖霊によって生まれる者なのです。風がどこから吹いてどこに行くのか、私たちには見えません。神の働きも同様です。その神の働きをニコデモは、再度、主キリストの問いただしたのです。
人間の生活をたとえに、天の神の御心と真理を説明
ではキリストは、神の御心と真理を、どのように私たち人間に示したのでしょうか。主キリストは、天のあることを、地上にあるもので説明したのです。人間の言葉で、人間が理解できるように話しました。神によって創造された人間は、赤子のような素直な心でキリストのことばを聴けば、理解できるはずなのです。
だから、イエス・キリストは次のように言います。「はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。」
心の目を開き、真正面からキリストを見てみましょう。そして、心の耳を開き、キリストのことばを聞いてみましょう。キリストが教える真理は、あなたの心にスッーと入って来るでしょう。ストンと落ちてきます。これこそ、不思議な神のわざだと私は思います。
人はすべてを理解して信じるのではない
聖書をすべて理解している人など、この世にはいません。クリスチャンになる人たちは、すべてを理解して信じるのではありません。肉で生きている私たち人間にとって、天のことについて理解不可能がことがあるのは折り込み済みです。神のすべてを理解している人がいれば、その人自身が神になってしまうでしょう。
キリストを信じる信仰とは、目で見えないものを心の目で見ているのです。実際に聞こえない声を、心の耳で聞いているのです。キリストを信じるか否かは、その人がキリストとの関係をもっているかにかかっています。信頼関係は、心と心のつながりです。主キリストは、この信頼関係に基づいて、人を祝福します。
真理を話した方を信じる者が受ける祝福
キリスト者が受ける祝福は、神の働きです。わかりやすく、どのように説明できるでしょうか。この世の中には様々な宗教がありますが、それらの宗教が教える祝福とキリスト者の祝福はどのように違うのでしょうか。表面上は、どこも同じように見えるかもしれません。
一つだけ、私が確信をもっていえることがあります。主イエス・キリストを信じて従っている人は、人を見下すようなことは決してしません。他の宗教の方々に対しても、謙虚であり謙遜な態度をとり続けらます。それと同時に、イエス・キリストだけが絶対的な権威をもっているという揺るぎない自信を持っているのです。謙虚と自信が共存しているのです。
ですから主キリストに従う人は、他の宗教者と言い争うことなどしません。他者を攻撃するなどもっての外です。むしろ、それでも人を愛すことを忘れないのです。なぜでしょうか。キリストの命令だからです。この方が、キリスト者を守ってくださっています。そしてこの方が人類を裁くために、いつの日か再臨されるという確信をもっているから、この混迷した世の中においても、惑わず生きていけるのです。
