コンテンツへスキップ 投稿日:2026年1月3日/更新日:2026年1月9日
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教会とは何か-ある神学生が描く理想の教会像

教会とは何か

イエス・キリストを通しての神の計画

旧約聖書が啓示する神の計画

 旧約聖書には、神の救いのご計画を示す聖句がいくつかある。講義によれば、イザヤ書9章6,7節、同11章1節、ミカ書5章1節、サムエル記Ⅱ7章14節、アモス書9章11、12節である。これらの個所から、3つのことが読み取れる。1つは、旧約聖書におけるキリスト降誕の預言である。イザヤ書9章5節には、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」とある(聖書協会)。これは、キリストの受肉を指し示していると解釈出来よう。幼子の姿を取ってこの地上にお生まれになったイエス様を想像するに難くない。

 2つ目は、救い主であるイエス様はユダ族から生まれるという預言である。イザヤ書11章1節には、「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」とある。(聖書協会)。

 エッサイとは、ダビデ王の父親である。そして、新芽とは、主イエス様を指していると解釈できる。つまり、ここでは、キリストである主イエス様は、ダビデの血筋からお生まれになることが預言されているのである。そして、注目すべき点は、「新芽」(聖書協会)、「若枝」という表現である。

イスラエルの民は、背信の罪により父なる神様から裁きを受ける。バビロン捕囚の出来事である。裁きにより、滅びたとみられていたイスラエルであったが、父なる神様はイスラエルの民に、裁きのみならず復興の道も備えておられた。「新芽」「若枝」という表現は、荒廃したかに見えたイスラエル、ダビデの血筋から、救い主であるイエス様がお生まれになることを表現していると解釈することができる。

聖霊の降誕

 更に、教会の起源を読み解く上で、欠かすことのできないことがある。それは、聖霊の降誕である。使徒の働き1章8節において、聖霊の降誕が予告されている。そして、同2章3,4節には、聖霊降誕の出来事が描かれている。聖霊が降ることによって、当時の民衆は共に祈り、讃美を捧げ、持ち物を分け合うようになっていった。聖霊により、教会が生まれたのである。

 教会という言葉は、ギリシャ語ではエクレシアという。これは、「呼び出された者」「呼び集められた者」という意味である。建物としての教会というよりも、むしろ礼拝のために集められた会衆を指す言葉だ。マタイの福音書18章20節で、イエス様は、かなえてくださる。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(聖書協会)と語られている。聖霊を受けて共同生活を始めた当時の民は、神を礼拝するために集っていたという意味合いにおいて、教会を形成していたと言えるだろう。そして、その民の集いの中に、主イエス様も共におられたのだ。教会の誕生である。

聖霊が導く教会

 現代において、教会員の減少という課題に直面している教会は少なくないだろう。もしくは、教会堂の所有についての課題を抱えている教会もあるかもしれない。教会員の減少も、教会堂の有無も大切な問題ではある。しかし、最も大切なことは、私たちにとって、教会とは何か、礼拝とは何か、という点を見失わないことではないだろうか。

 私たちは、礼拝を捧げるために集まる。では、誰を礼拝するのか。それは言うまでもなく神様であり、イエス様である。教会堂を所有していなくとも、また、会員が少なくなってしまったとしても、神がおられるということを忘れずに、共に主を s賛美 し喜ぶ時、そこには教会が生まれるのではないだろうか。

 さて、s聖霊 に再度、注目していきたい。エレミヤ書31章33節に、このような記述がある。「31:33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(聖書協会)

律法を心に書き写す

 33節に注目したい。「律法を心に書き写す」という表現がなされている。これは、新しい契約に関する預言(講義ノートp5より引用)であり、心に書き写す律法とは、聖霊を指しているとされる。

ヨハネの手紙Ⅰ2章27節に、「御子から注がれた油」という表現がある。この個所の「油」も、聖霊を指すと言われている。そして、「この油が万事について教えます」とも記されている(聖書協会)。つまり、キリスト者は、聖霊の働きによって神を知ることが出来るのである。

 聖霊は、ある特定のグループや人種にのみ与えられるものではない。小預言書の1つであるヨエル書3章1‐2節にはこのような記述がある。「その後わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは、奴隷になっている男女にもわが霊を注ぐ」(聖書協会)。

すべてのクリスチャンに与えられる聖霊

 バイブルナビの解説によると、旧約聖書の時代において、聖霊は、王や預言者、士師などの特別な立場の人に注がれていた。しかし、ヨエルは、すべての人に聖霊が注がれる日が来ることを預言している。「すべての人」には、奴隷の身分の者も含まれる。主イエス様を救い主と信じる者に、父なる神様は分け隔てなく、聖霊を注いでくださるのである。そして、このヨエルの預言である聖霊降誕は、使徒の働きにおいて成就するのである。

 聖霊により教会が誕生すると同時に、使徒たちによる宣教も始まった。しかし、宣教が始まった当初、福音宣教はユダヤ人を対象としていた。マタイの福音書10章5節や同15章24節を見ると、福音宣教の対象に異邦人は含まれていなかったことが読み取れる。

 使徒の働きにおいて、ユダヤ人に対する宣教が本格的に始まるものの、必ずしもユダヤ人たちがキリストの福音を受け入れるとは限らなかった。しかし、使徒たちは、あらゆる街々で宣教を開始する際は、必ず、ユダヤ教の会堂で福音をのべ伝えたのである。

主イエスと共に祈る弟子たち
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