古代から現代まで、人間は宗教を金儲けの道具として使ってきました。本物の宗教とはどんなものでしょうか。人間は、その罪深さゆえに、信仰を売り物にして商売をしてきたのです。この記事では、人間が作る宗教と本物の宗教を比較して、神を信じる純粋な信仰を検証します。
イエス・キリストが神殿を清めた理由
1世紀のユダヤ教は、神の権威ではなくj、人間の権威によって行われていました。前1世紀には、祭司職が金銭で売買され、聖書が本来教えている宗教からは程遠い状態でした。このような時代に、イエス・キリストは、天から降りてきて神の御心を宣べ伝えたのです。そのような時に、当時のユダヤ人にとってみれば、衝撃的な事件が起きます。ヨハネ2章13-22節を読んでみましょう。
神殿内でいけにえのための羊や鳩を売っている商売人たちを、キリストは神殿から追い出してしまったのです。商人たちが使っていた台を倒し、「このような物をここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言ったのです。この行為を、ユダヤ人たちは権威に対する冒涜と見なしました。いきなりこんなことをされて、ビックリしたに違いありません。
しかし主キリストが神殿を清めた行為は、正しく神の御心でした。人間が支配する宗教は腐敗して、神の御心をないがしろにしてしまいます。罪深い人間が作る宗教の特徴とは何でしょうか。
罪深い人間が作る宗教
宗教を商売の道具にする
いつの時代でも、人間は宗教を商売の手段として使います。宗教とはいえ、金儲けの道具に過ぎません。その意味では、残念ながらキリスト教も例外ではありません。
主キリストは、人間の心が清くなり、神をハッキリ見ることができるような宗教と信仰を教えました。しかし罪深い人間が、純粋な信仰に関係を持った時から、キリストの教えは歪められてしまったのです。
宗教的リーダーが金銭を握る
「金が物を言う」のがビジネスの世界ですが、キリスト教という宗教の世界にも、この悪の慣習が入り込んでしまっています。キリスト教の中には、巨大な教会が存在します。特にアメリカの目がチャーチのリーダーたちは、豪邸に住みプライベートのジェットに乗っています。
ジョエル・オースティン、ジョイス・マイヤー、ケネス・コープランドたちは、繁栄に神学に基づき、神の御心を行う人は物理的な祝福を受けると主張しています。しかしこのような嘘を、キリスト者は信じるべきではありません。
宗教的リーダーが権力と権威を握る
さらにもう一つの特徴は、宗教的なリーダーが権力と権威を握ることにあります。これに対して、主キリストは、本物の信仰と比較しています。マタイ23章1-12節を読んでみましょう。
1世紀の律法学者たちは、~先生、~師と呼ばれユダヤ教の権力の頂点に立っていました。その権威に対しては、ユダヤ人であれば誰もがひれ伏さなければなりません。しかし主キリストは、地上には一人の師、一人の先生しかいないと宣言します。神に御国では、高ぶる人は神の裁きの時には低くされるのです。だから、キリスト者は自分が霊的に成長したいと思うのであれば、神に仕え人に仕えるために自分を低くしなさい、と主は戒めています。
神の民の中にいる宗教的なリーダーの横暴は、1世紀のユダヤ教に限った事ではありません。いつの時代でもいるのです。たとえば、前8世紀のイスラエルのリーダーたちや預言者や祭司たちは、貧しい人たちを搾取していたのです。旧約聖書の預言書によれば、この人たちは神の裁きの言葉を受けています。
神が求める本物の宗教とは?
では神の御心に適った本物のキリスト教徒は、どんなものでしょうか。この基準は教派の壁や違いを超えて、すべてのキリスト者に語っていると思います。ミカ6章8節、マタイ23章23節、ヤコブ1章27節を読んでみましょう。
これらの3つの聖句には、共通点があります。純粋な信仰は、神の正義と慈しみと愛に基づいています。人間による行いによる正義、慈しみや愛は、決してありません。神をハッキリ見える信仰とは、純粋であり、神の戒めを心から実践します。
キンキラキンの司祭服は、権威の象徴かもしれません。しかし「そのような見た目の権威を捨てて、教会のリーダーは神の権威にすがりなさい」、と主キリストは戒めているのではないでしょうか。人間の支配がリーダーが求めたら、キリスト教も教会も腐敗します。キリストを主よ、主よと呼ぶ者が、すべて救われるわけではありません。 神の御心を行う者だけが救われるのですから。この警告を肝に銘じて、キリスト者として生きていきましょう。
