洗礼は単なる入信のための儀式でしょうか。神が定めた「信者のキリストとの結婚式」ーこれが洗礼、バプテスマです。洗礼において、信じる人が主の弟子として生きる決心をするときであることを解説します。バプテスマ、洗礼を受けて、主イエス・キリストによって、新しい人生が始まります。しかし、これはクリスチャン人生のスタートに過ぎません。
人は新たに生まれなければ・・・
主イエス様は、ヨハネ3章で、「人は、あらたに生まれなければ、神の国に入ることはできない。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と言いました。
人生が変わる第一歩
先週のメッセージでは、この聖句から、キリストによって新しい人生が、始まるプロセスについて考えました。それは第一に考え方が変わり、次に心が変わり、そして最後に行動が変化するようになります。このプロセスを一歩進めて、人が信仰告白をして、水と霊によって新しく生まれる意味について考えます。
水とは、バプテスマを指しています。霊とは、聖霊を指しています。本当の人生再生が起きる時です。また人生が、霊的に新しくされ、主イエス様と生きていくことを意味しますが、今日は、バプテスマの意味をもっと深く理解して、実践生活に生かしていきます。
事実、この新しく生まれるプロセスは、クリスチャンが生きている間、ずっと継続していきます。もしこれが止まれば、そのような人は、悪魔によって騙され、霊的に死んでいきます。私たちが霊的に死なないためにも、日々悔い改めて、主イエス様の命令どおりに新しく生まれていきましょう。
水と霊によって生まれる
今日は、水と霊によって新しく生まれるとは、どんな意味なのかを考え、また私たちの生活に生かしていきましょう。使徒2章38節によれば、最初のクリスチャンになった人たちは、罪を悔い改めて、主イエス様の名によってバプテスマを受けたのです。その結果、彼らは罪の赦しと聖霊を受けたのです。
この主イエス様の名によって受けるバプテスマが、水と霊によって新しく生まれることなのです。ではバプテスマの意味は何でしょうか。今日は、この大きなテーマをいっしょに考えていきましょう。
バプテスマの方法
バプテスマの方法は、いろいろな教派の伝統があって、それぞれ違います。そこで主イエス様がどのようにバプテスマを受けたかを見てみましょう。
主イエス・キリストのバプテスマ
マタイ3章13-17節を読んでみましょう。この状況を想像してみてください。ヨハネのバプテスマは、ユダヤ人に悔い改めのバプテスマをしていました。そこに主イエス様が、ヨハネからバプテスマを受けるために、ヨハネの下に来たのです。当然、ヨハネは「私こそ悔い改めのバプテスマを受けるべきです」と言ったのです。
ところが、主イエス様は「これは正しいことだから、させて欲しい」と言いました。そして、主イエス様は水の中に完全に入り、水の中から上がられたのです。ここから私たちは、何を学ぶことが出来るのでしょうか。
イエス様が受けたバプテスマが模範
ギリシャ語のバプテスマの意味は、水に浸すという意味があります。その通り、主イエス様は水の中に入り水から上がったのです。カトリック教会がやっているような、頭に水をかけるような方法ではありません。これが第一点です。
第二に気づくべき点は、バプテスマを受ける動機です。これは神様の命令です。正しい教えです。だから主イエス様は従いました。私たちも同じように従うのです。
そして第三に、主イエス様がバプテスマを受けた後に、何が起きたのかを注目してみましょう。聖霊が主イエス様の上に下り、天から声が聞こえたのです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と父なる神様は言ったのです。まさに私たちが、主イエス様の名によって、バプテスマを受ける時に、同じことが起きるのです。これがバプテスマの模範です。
バプテスマは、主イエスとの結婚式
恋愛関係において
私たちは、主イエス様と出会い、考え方が変えられ、心が変えられ、行動が変えられたのです。ちょうど、これは男女の恋愛にもたとえられます。恋愛関係において、「この人といつもいっしょにいたい。いっしょにいると楽しい。私たちは、お互いに人生を分かち合い成長し合える」と思えるようになるのではないでしょうか。
実は、主イエス様に出会い、心が変えられた人は、主イエス様に対して似たような恋愛感情を持つのです。この方といつもいっしょにいたい。この方の側にいたいと思います。主イエス様を慕い求め、愛するようになるのです。主イエスを愛し慕い求める信仰によって、主イエスの名によってバプテスマを受けるのです。
結婚式で誓う
男女の恋愛関係であれば、最終的に結婚式について考えるでしょう。そして主イエス様の名によって結婚するのです。実は、私たちの主イエス様との恋愛関係においても、同じように結婚式を挙げるのです。
バプテスマは、神様が定めた主イエス様との結婚式です。主イエス様が夫であり、私たちは花嫁です。私たちは、この結婚式であるバプテスマにおいて、次のように主イエス様に告白します。
「私は、あなたの弟子です。あなたに仕える者になりたいのです。だから、私に生き方を教えてください。あなたと共に死んで、あなたと共に生きたいのです。私はあなたに従います。なぜなら、あなたは主なる神様だからです。人生の先生です。だからあなたに私はついてまいります。」
このような信仰告白を主イエス様にするのです。天にいらっしゃる父なる神様は、このような信仰を見ています。そして、その人はバプテスマを受けた後、天には喜びがあります。聖霊がその人に下り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適った者」と宣言されるのです。
バプテスマの意味
主イエス様と共に死んで生きる
ローマ6章3-4節を読んでみましょう。バプテスマを受ける時、私たちは水の中に入ります。それは、私たちが主イエス様とともに死んだ象徴でもあります。そして、水から上がる時に、それは死からの復活を象徴しているのです。
この儀式に何の意味があるの?と思う人もいるでしょう。しかし、大いに意味があるのです。なぜなら、天にいる父なる神様が、証人として見ているからです。信仰を見ているからです。
父なる神様は「これはわたしの愛する子」と宣言してくださるからです。神様の聖霊を与えてくださるからです。まさにこれが主イエス様との結婚式なのです。
私たちの命を主イエス様にあずける
私たちは、命を主イエス様に預けます。命を捧げます。主イエス様にお任せする信仰をもつようになったからです。新しい人生は、考え方が変えられ、心が変えられ、そして行動が変えられ始まります。しかし、これは始まりに過ぎません。主イエス様と結婚式を挙げても、まだ悔い改めの人生は続くのです。実際、バプテスマの後の人生は、どんなふうでしょうか。人生観そのものが変わっていきます。
では最後に2コリント5章15節を読んでみましょう。私がアメリカにいた時、ある男性から「君はイエス様に気が狂っているんだね」と言われました。確かにそうだと思います。主イエス様が一番であり、主イエス様が何よりも大切だからです。
私たちの人生は、主イエス様と共にあり、そしてこの世で生きている間、私たちは主に仕えていくのです。これがクリスチャンの幸いです。しかしバプテスマは、クリスチャン人生のスタートラインに立ったに過ぎないのです。この事については、次の記事で説明します。
