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心動かされる詩集

心動かされる詩集
心動かされる詩集

6  「諸君、我々も大いにひがもうではないか」  1999年11月29日

レベルの高い人でもひがむのかな
先日のこと入院中の石塚さんが
施設に手紙をくれたとさ
だけどそこには園長の名前が書いてなかったと
不平げに話していたよ

忘れられた存在か それとも影が薄いのかって
それを聞いて僕は思ったよ
毎週教会に連れていってもらえぬ者は
やっぱり忘れられた存在か
それとも影が薄いのか
いずれにせよ歩けないものなんか
仲間になんか出来ないということだろう

7  「わくわくと」  1999年12月27日

わくわくするよ この胸が
冷たい体にホンワカと温もりが走ったよ
愛が芽生えてくるようで
神様に祈る
ああ この温もりが続きますようにと
そしてあの人に幸多かれと

8  「この世での喜び」  1999年12月27日

この世での喜びは僕にはない
でも天国の喜びはおっきい
なぜなら この世でちっちゃな者だから
そういう者にこそ神様は
いちばん大きな喜びをお与えになるのさ
と信じてしまっているけれど
やっぱりこの世の喜びが欲しい

9  「俺が死んだら」  2000年3月10日

俺が死んだら この体はどこへ行くのかな
神様のいる天国
それとも蓮の花に乗り
三途の川に行くのかな
いずれにせよ 早く行きたいもんだ
嘘で固めた世の中に生きるのが辛いから
そして我と我が身に愛想を尽かしたから

悲しみが喜びに変わる-ヨハネ16章16節(新しいブラウザータブで開く)

10  「一つだけの願い」  2000年3月10日

もし神様に
一つだけ願いをかなえてやると言われたら
足も目も悪いお前は何を望む
俺か さうさなあ ためらいもせず
丈夫な足と答えるだろうよ
目はなくとも 手さぐり または白い杖で
誰に遠慮すること無く自由に歩かれる

それに比べて足が悪かったなら
たとえ車椅子があっても
行きたいところへ行くというのは
所詮無理なはなし
まして俺のように
足にくわえて目も悪いと来たらなおのこと
それにまた そこに段差でもあれば
絶対なるピンチだ
ああ それなのに それなのに
無常にも法律は
目の見えないことばかり重視して
歩けないことを何故に軽んずるのか
そこが知りたい

新緑の季節4月、紫陽花の季節へ詩篇19篇2節(新しいブラウザータブで開く)

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