コンテンツへスキップ 投稿日:2022年10月8日/更新日:2023年2月11日

神様の憐れみ、慈しみ、恵み、愛

人生の荒海でもまれ試練にあっているとき、助けはどこからくるのでしょうか。中田キリストの教会の前田文夫伝道者が「神様の憐れみ、慈しみ、恵み、愛」を解き明かしてくださいます。

人生の荒波

私たちの人生には色々なことがあり、その中には本当に困ってしまうことがあるものです。そんな時、私たちはどこに助けを求めて来たでしょうか。病気の時には医者に求めたかもしれません。しかしそれは医者だけで治ったわけではありません。家族の親身な看護によったのかもしれません。また病気によっては、単に肉体的な苦痛以上に精神的な問題が伴うものあります。そのような時、親しい友人の慰めの言葉や、一冊の本が励ましになったかもしれません。

助けはどこから来るのか

しかし、そういうことを一つ一つ考えて行くと、決してこれらだけでなかったことを知ります。これらのことが全部そうだったとしても、またそこに私たちの養生という自分の努力を加えてみても、それだけで全部ではありません。そこにはそれらがバラバラに動いていたのではなく、それらの人々の背後にあって、それらの人々を動かしていたお方がいらしたのです。私たちの肉体の癒しということだけについても、それは医者や看護人が治したのではなく、それ以上に本人の健康状態が大切です。

神様の憐れみ、慈しみ、恵み、愛

では、一体誰が私たちに良い健康状態を与え、これを動かしているのでしょうか。どんな困難な問題が起きても、その助けは本人や物から来るのではありません。また政府や宗教や教育や修養から来るのでもありません。本当の助けは、被造物から来るのではなく、天地万物をお造りになった神から来るのです。本当の問題解決も、本当の慰めも、本当の救いも、ただ神のみから来ます。私たちがこのことを真に理解しますと、回り道をしないで、まっすぐ神の御許へ行くことが出来るのです。

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。

詩篇121:1~2 新共同訳聖書 聖書協会

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