実るほど頭を垂れる稲穂かな

霊的に成熟した人ほど謙虚である原則について、御茶の水キリストの教会の伝道者、野口良哉さんに寄稿していただきました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のことわざから、わかりやすく解き明かしています。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

実るほど頭を垂れる稲穂かな

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。(マタイ20章26節-27節)新共同訳聖書 聖書協会

いよいよ田畑も色付き、実りの秋を迎えました。いかがお過ごしでしょうか?

ところで、御茶の水キリストの教会の創立者のお一人で、宣教師でありましたO. D. ビクスラー先生は、「実るほど、頭を垂れる、稲穂かな」という言葉を座右の銘にされておられました。

「実るほど、頭を垂れる、稲穂かな」。まさに、今、田畑の稲穂はたわわに実り、その重みで頭を垂れている訳ですが、転じて、成熟した人ほど謙虚であるということです。

実は、聖書も、そして、主イエス・キリストもしばしば、私たちに謙虚であることを勧めております。偉くなりたいという弟子たちに対して、こう言われました。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者なりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」。ここからサーヴァント・リーダーシップ、すなわち、「仕える指導者像」という考えも生まれました。

トの字に一の書きどころ

こんな言葉があります。「トの字に一の書きどころ」。カタカナの「ト」という字のどこに、漢字の「一」を書くのか、という訳です。カタカナの「ト」は「人」を表わし、漢字の「一」は自分を表わすと思って下さい。人の上に立ちたいと、「ト」の字の上に「一」を書きますと、それは「下」という字になってしまいます。それに対して、謙虚に、まずは人に仕えようと、「ト」の字の下に「一」を書きますと、それは「上」という字になるのです。

主イエス・キリストは「あとの者が先になり、先の者があとになるものです」とも言われておりますが、“まずは仕える者、しもべになりなさいと”の勧めと併せて考えますに、高慢にも上に立とうとする者はかえって下に降ろされることになったり、逆に、謙虚にまず下に降りて行くものがやがて上に上げられるということなのかもしれません。

ちなみに、主イエス・キリストご自身は、まさに、謙虚に、まずは人に仕えようと、「ト」の字の下に「一」を書くような生涯を歩まれ、最終的に、やがて神によって高く「上」に上げられた、と聖書には記されております。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

ピリピ人への手紙2章6~9節 新共同訳聖書 聖書協会

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