クリスマスの本当の意味

ルカの福音書2章6-7節から「あなたの心にクリスマスを!」。御茶の水キリストの教会 野口良哉 伝道者 クリスマス・メッセージです。

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリヤは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」

ルカによる福音書2章6~7節 聖書協会

まもなくクリスマス

まもなくクリスマスです。クリスマスとは、平たく言えば、イエス・キリストの誕生日。ちなみに、誕生日で、最も喜ぶべきなのは一体、誰でしょうか?言うまでもなく、それは誕生日を迎える当事者に他なりません。その論理で言えば、クリスマスは、イエス・キリストの喜ぶことをすべきではないでしょうか?クリスマス・パーティーやクリスマス・プレゼントも決して悪くはありませんが、むしろ、受けるクリスマスではなく、与えるクリスマスこそが、誕生日を迎えるイエス・キリストの喜ばれる、真のクリスマスと言えるかもしれません。

ルカの福音書2章6-7節

田舎の小さな教会で…

田舎の小さな教会で、子供たちによるキリスト降誕劇が演じられることになりました。子供たちはそれぞれ自分の役をもらい、一生懸命練習し始めました。ところが、太郎君という名の少年にはなかなか役が割り当てられません。というのも、彼には軽度の知的な障がいがあったのです。結局、大人たちは考えた末、太郎君に宿屋の主人の役を与えました。「ダメだ、いっぱいだ。だけど、馬小屋だったら空いてるよ。」。台詞はこれだけです。でも、太郎君は役が与えられたことを喜び、彼なりにそれはそれは一生懸命練習しました。

そして、クリスマス・イブの降誕劇当日。満員の観衆にとって、クライマックスはもはやイエス・キリスト誕生の場面でも、三人の博士たちの歴訪でもありませんでした。ヨセフと身重なマリヤが宿屋の扉を叩き、そこに出てくる宿屋の主人、すなわち、太郎君がちゃんとできるかどうか、それこそがクライマックスだったのです。

手に汗握る観衆の前に、太郎君が現れました。「ダメだ、いっぱいだ。だけど、馬小屋だったら空いてるよ。」。太郎君は完璧にその台詞を言い、その役をこなしたのです。観衆一同はホッと胸を撫で下ろしました。と、次の瞬間、想定外の事が起こってしまいました。太郎君は、寂しく立ち去るヨセフとマリヤを呼び止めて、涙ながらこう叫んだのです。「ヨセフさん、マリヤさん、行かないで!ボクの部屋でイエス様を産んでよ。そんな寒いところに行かないでよ。」。太郎君は知的障がいのために劇と現実が一緒になってしまったのでした。

当然、降誕劇は中断を余儀なくされました。しかしながら、観衆の誰一人として文句を言う者はありませんでした。それどころか、一同深い感動をさえ覚えたのです。そして、皆こう思いました。太郎君のしたこと、これこそが本当のクリスマスなのだ!太郎君は確かに、その心の部屋にイエス・キリストを迎え、そこにイエス・キリストを誕生させたのではないでしょうか?

 

御茶の水キリストの教会 野口良哉 伝道者

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