コンテンツへスキップ 投稿日:2023年5月27日/更新日:2023年5月30日

ローマ8章28節。神様の不思議な働き

神様は不思議な方法で働きます。我々人間は、神様の不思議なわざに????と心の中でつぶやくでしょう。ローマ8章28節がこの事実を語っています。

神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

ローマ8章28節 聖書協会

この短い聖句には、神様の不思議な働きの意味が隠されています。この聖句を読んだだけでは、神様の不思議な働き、神様がどのように私たちの人生で働いて下さっているのか、わかりません。今日は、旧約聖書の創世記から、ヨセフという人物の人生から学んでみましょう。

創世記37—50章 ヨセフの人生  

ヤコブには、ヨセフを含めて13人の子供がいましたが、その中でも、ヨセフを溺愛していました。そんな時、ヨセフは、「太陽や月や星がヨセフにひれ伏している」夢をみます。これを自慢げに他の兄弟たちに話したので、兄弟たちは怒り心頭です。それ以来、兄弟たちはヨセフを憎むようになったのです。

ヨセフの兄弟たちは、その憎しみゆえにヨセフを奴隷としてエジプトに売ってしまいます。ヨセフは、故郷から遠く離れたエジプトで召使いとして仕えますが、そんな時に主人の妻に誘惑されてしまいます。度重なる誘惑にも、ヨセフは拒否します。主人の妻は、ヨセフを憎しみ牢屋に入れてしまうのです。その牢屋の中でヨセフは、神様の力によって2人の夢を解釈してあげます。

エジプトの王であるファラオも夢を見て、ヨセフを牢屋から呼び寄せその夢を解釈させます。その夢の意味は、7年間の豊作と7年間の大飢饉が起きるという預言でした。ファラオは、食物を管理するエジプトの支配者としてヨセフを任命します。

ヤコブと家族も、大飢饉の被害にあいます。ヤコブの息子たちが、エジプトに食べ物を求めてやってきます。彼らは、エジプトの官僚(ヨセフ)に出会いますが、それがヨセフだとは気づかません。ヨセフは、父親であるヤコブを思い出し、感情がこらえきれずに、自分の身分を明かします。この時、ヨセフの兄弟たちは、当然ビックリしました。ヤコブも、ヨセフがエジプトにいると聞き、ヨセフに会いにエジプトまで行きます。

神様の不思議な働き ヤコブとヤコブの家族 

ここまでヨセフの人生を説明しました。今日の学びの焦点になる聖句、創世記50章15-21節を読んでみましょう。

ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。 『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。

創世記50章15-21節 聖書協会

この聖句から、悪を善に変える神の不思議な働き、つまりローマ8章28節で読んだ神様の働きを考え、私たちの人生に役立ててみましょう。

ヨセフの人生から見出される2つの原則    

ここでヨセフの人生に示されている2つの人生の原則をまとめてみましょう。

  1. 神様は悪を善に変える方であることです。
  2. 人間は試練を通して成長するという事です。

ヨセフの兄弟たちは、ヨセフに悪を行いました。彼らはヨセフを憎しみ、奴隷のように売ってしまったのです。一方、ヨセフの方は、決して人に好かれるタイプの人間ではありません。むしろ嫌われて当然と思われるような人です。

しかし、天の神様は、その悪を善に変えたのです。憎しみを赦しに変え、傲慢なヨセフの人格を柔和な心優しい人間にしたのです。

ヨセフは、いろいろな試練を通して成長てして、エジプトの支配者になり自分の家族を助けたのです。これは、目に見えない神様の働きです。

神様は悪を使って善を行う  

クリスチャンが罪を犯して、最悪のことが起きても、私たちが神様を信頼していると何が起きるのでしょうか。自然災害が起きたり、交通事故にあったり、人生にはいろいろな試練が付き物です。しかし、私たちが神様を信じて生きていると、何が起きるのでしょうか。

ヨセフは、奴隷のように売られてしまった時に、彼は何を考えていたのでしょうか。ヨセフが、牢屋に投獄された時に、何を思っていたのでしょうか。自分は何と運がない人間だろうと思ったのでしょうか。その不幸を怨み、神様を呪ったのでしょうか。周りの人々を罵ったのでしょうか。

彼は、神様を信じていました。忍耐強く神様の御心を求めて祈ったのではないでしょうか。このような信仰の人の人生に、神様は介入します。神様の人生介入です。悪を善に変える神様の働きです。

聖書には、悪を善に変える話でたくさんあります。試練を通して、人間が成長する話でいっぱいです。皆さんが、悪に直面する時、神様に祈るのではないでしょうか。これが成長の源になっているのです。神様が、悪を善に変えてくださるのです。実際、天の神様は、悪を使って善を行うのです。聖書の中の最大の話、最大のエピソード、主イエス・キリストの十字架を見てみましょう。

神様の働き イエス・キリストの十字架   

ユダヤ教教師たちは、自分たちの宗教的な権威が消滅、無くなってしまうのではないかと恐れていました。彼らの権威が侮辱されたと彼らは感じていたのです。それを侮辱行為を行っていたのが、主イエス・キリストです。ですから、彼らは主イエス・キリストをこの世から消してしまいと考えていました。

しかし、自分たちの手で暗殺するわけには行きません。かられ自身が殺すわけにはいかなかったのです。ユダヤ教の律法によって、イエス・キリストを処罰することができませんでした。そこで彼らが考えたのは、ローマ帝国の法律によって、イエス・キリストを処刑することです。それが十字架刑です。十字架は、極悪人んを処刑するローマ帝国の律法です。

しかし、神様は、ユダヤ人教師たちの悪意を、人間の罪のためにイエス・キリストをいけにえとしてささげることにしたのです。神様は、悪を使って善に変える達人です。

イエス・キリストは、父なる神様を信じて成長した  

主イエス様は父なる神様と一体の方でしたが、私たちと同じ肉体の弱さを持った人間イエス・キリストも、同じように試練を通して成長したのです。

へブル5章7-10節を読んでみましょう。

キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。

へブル5章7-10節 聖書協会

イエス・キリストは、ご自分の力で宣教したのではありません。父なる神様に祈り、父なる神様から力をいただき宣教したのです。神様のわざをしたのです。この地上に生きていた時、主イエス様はひたすら祈りました。その苦しみ、試練を通して、主イエス様は従順を学んだのです。

神様は、今も私たちの人生で働いておられる     

神様は、今も私たちの人生で働いておられます。ヨセフの人生の介入したように、神様は今も働いています。主イエス様が心の叫びをあげて、祈った時、父なる神様はその祈りに答えられました。

神様は、今も昔も変わりません。同じように働き、同じように信仰を持っている人たちを、助けて整えてくださっています。私たちを成長させてくださっているのです。

しかし、私たちが実際に試練に遭っている時は、暗中模索でしかありません。試練にいる真っただ中では、ただ神様に祈るしかありません。ヨセフは、奴隷として売られた時、これが神様の御心だと思ったでしょうか。牢屋に入っている時、確信をもって自分がエジプトの支配者になると知っていたのでしょうか。そんな事はありません。

主イエス様でさえ祈ったのです。私たちももっともっと祈り、神様に寄り頼み、日々、神を求める必要があります。神様の働きは、過去を見て初めて明らかになります。不思議な業が、神様によって行われていたと確信を持って言えるのです。自分が神様によって、造り変えられていたと気付くでしょう。

神様が私たちの人生に介入してくださるように、私たちは心を開きましょう。神様を慕い求めましょう。今週も一週間、主イエス様について行き、喜びをもって成長して過ごしましょう。

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