テモテへの手紙第二3章

テモテへの手紙第二3章の解説。困難な時代を生き抜くために

テモテへの手紙第二3章の解説です。立川キリストの教会の福嶋正剛伝道者が、現代の日本社会に当てはめてわかりやすく解説してくださっています。聖書の御言葉を自分自身に当てはめて考え、神様の御心を理解できますように。

困難な時代と偽教師たち(3:1~9)

テモテへの手紙第二3章

この手紙は、パウロが信仰の後輩であるテモテを励ますために書かれたものである。その励ましは現実的であり、テモテの伝道者としての仕事が決して楽にならないことを前もって警告している。クリスチャンが、罪に満ちたこの世の中で、希望を持って生きることができるのは、現実よりも大きな方を知っているからである。クリスチャンは「超現実的」に生きることができるのである。

終わりの日

1節の「終わりの日」は、教会の時代を指しており(使徒2:17、ヘブル1:1~2)、その時代はすでに始っていた(5節)。世の中が悪くなっているというのは、今日に始ったことではない。ここに並べられた悪のリストの一番目は、「自分を愛する」ことである。人間が守るべき第一の戒めは、心を尽くして神を愛することであり、第二は人を愛することである(マタイ22:37~38)。神の教えは、この二つの戒めに要約できる。この二つの戒めは、人間生活の土台であるから、それを崩してしまうなら、人間の生活も社会も混乱状態になる。

現代の日本人の現状

人間は、まことの神を神としなければ、他のものを神としてしまう。現代の日本人は自分を神にしてしまっている。自分を信じて、自分に従って生きている。自分という、いかにも頼りないものを神としているのなら、現代の日本が、多くの問題を抱えているのは当然である。神を神としないなら、神に似るように創造された人間は、人間らしく生きることはできない。神を神としないなら、人は人になれないのである。2~5節は、その当時の人々を表わしているものであるが、それはそのまま現代人にも当てはまる描写である。

テモテにとって切実な問題は、こういう人々が教会におり、教師という仮面をかぶって、人々を惑わしていたことである。しかし、そのような人々は、真理に逆らう愚か者であり、その愚かさは必ず明らかにされる。モーセに対抗した、魔術師たちが恥をかいたように、偽教師たちの罪も暴かれる。

テモテと偽教師の違い(3:10~17)

困難に立ち向かう時

間違った教えで私腹を肥やしていた偽教師たちとは対照的に、テモテはパウロとともに健全な教えの宣教のためにあらゆる困難に耐えて来た。パウロは、自分でも驚くほどの迫害を乗り越えて来た。しかし、自分の力でやったのではない。パウロをいっさいのことから救い出して下さったのは主である。パウロの主に対する信頼と確信は、主と共に生きて来た経験を通して体得したものである。パウロはテモテにも、共に歩んで来た道を振り返らせ、主の真実を覚えさせようとした。また、ルステラは、テモテの故郷であった(使徒14:19以下)。パウロはテモテに自分の信仰の原点を思い起こさせているのではないか。    

「確かに、キリストイエスにあって敬虔に生きようと願う者は、みな迫害を受ける。」しかし、主に従い通す者は、主と運命を共にし、悪魔に従うものは、悪魔と運命を共にするのである。偽教師たちは、悪魔が支配する時代の流れに流されて行く。しかし、テモテは健全な教えを受けて確信したところに留まっていなければならなかった。テモテは、母や祖母(1:5)、そしてパウロから聖書を学んだ。

聖書、神の言葉の力

その当時は、まだ新約聖書が完成していなかった。「旧約聖書」だけが聖書として存在していた。しかし、その時代は、イエス・キリストの使徒たちの教えがすでに神の言葉として、「聖書」に加えられつつあった時期でもあった。パウロは、キリストの使徒として、神の権威を持って手紙を書いた。またペテロもパウロの手紙を「聖書」の一部として扱った(2ペテロ3:16)。

聖書は、テモテに知恵を与えてくれる。この知恵は、偽教師たちの愚かさ(3:9)と対照的なものである。また聖書は、キリストイエスに対する信仰による救いを提供する。聖書は、「自分を救うためのマニュアル」ではない。私たちを救って下さるのは主である。私たちは、聖書を通して救い主と出会い、御言葉によって主と共に生きるのである(ヨハネ5:39~40)。聖書は私たちの救い主の言葉である。聖書は神の霊感によるものであり有益なものである。

それとは対照的に、偽教師たちの教えは、霊感によるものではなく、無益なものであり、それに従う者を滅ぼしてしまうのである(2:14)。   聖書は、それを学ぶ者にとって有益なものである。また聖書は、それに従う者を教え、戒め、矯正し、訓練して、神のわざに有益なしもべとしてくれる。

エペソの長老たちをパウロが励ました時

パウロは、以前エペソの長老たちにも、神の御言葉について次のように教えた。「私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20:32)この言葉は、パウロがエペソの長老たちに残した遺言的な言葉である。そして、今パウロは、自分の死を目の前にして、後継者であるテモテを神の御言葉である聖書に委ねている。2テモテは使徒パウロの遺言的な文章として、貴重なものである。しかし、聖書がエペソの長老たちに御国を継がせ、テモテを訓練し、私たちを救うことができるのは、それがパウロの遺言だからではなく、生ける神の生きた言葉であるからである。

結論 困難な時代を生き抜くために

悪い時代は勢いよく流れる。私たちは、自分たちの力でその流れに逆らうことはできない。しかし、ここに時代に流されることのない永遠の神の言葉がある。困難な時代にあっても神の御言葉である聖書の教えに留まっているならば、私たちも流されることはない。

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