コンテンツへスキップ 投稿日:2022年12月13日/更新日:2023年5月4日

クリスマスは何をする日でしょうか 

クリスマスは何をする日

クリスマスは何をする日でしょうか 。クリスマスも近いので、今日はどうしてクリスマスをお祝いするのかというお話しをさせて頂きます。

福音書の最初に・・・

新約聖書の最初の部分に、福音書があります。福音書とは、イエスキリストの生涯を記録したもので、「よい知らせ」という意味です。英語ではGood Newsと呼びます。先ほどお読みした聖書も、ルカによる福音書で、4つある福音書のうち3つ目の福音書です。

そのイエスキリストの生涯が書かれている福音書の最初の方には、イエスキリストの誕生の出来事が書かれています。先ほど、お読みした聖書の箇所は、その誕生の時のことが書かれているところです。

今から2000年ほど前、イエスキリストの時代、イスラエルの人々は、国が滅亡し敵に占領されて、とても苦しい生活をしていました。日本で比較すると、太平洋戦争の敗戦直後で、日本は占領され、人々は失望の中で打ちのめされていました。当時のユダヤの人々は、救世主、すなわちメシアの出現を心待ちにしていました。そんな時に、イエスキリストは生まれました。

当時の人々は、イエスキリストが、力強いリーダーとなって、戦争を起こして、敵国をやっつけ、敵を追い出し、再びユダヤ人のイスラエルの国を、取り戻してくれるのではないかと期待していました。

イエス・キリストのメッセージ

それに対して、イエスキリストは、武器を持たないで、「神様を愛すること、私たち人間が互いに愛し合うこと」、が大切であると説いてまわり、決して、軍事的なリーダーにはなりませんでした。腕力が強く、武器をたくみにあやつり、敵の兵士を次から次へとやっつける強い勇者に比べて、一生懸命に愛を説くイエスキリストは、当時の人々から、これでは敵に勝てない、救世主ではないと思われました。

ここで大切なことは、強い武器や軍事力や強い軍事リーダーが、私たち人間を救ってくれるのではないということです。過去の戦争においても、将軍は相手の兵士だけでなく自軍の兵士も多く戦場で死なせました。武力では、決して真の平和は来ません。イギリスの作家のエドワード・ブルワー・リットンの「ペンは剣よりも強し」という言葉は、皆さんも聞いたことがあると思います。イエスキリストは、武器ではなく、愛こそが人々を救うという教えを広めました。

武力や破壊力は、一時的な占領状態から解放してくれますが、逆に相手から恨まれて、相手と仲良くすることにはなりません。これに対して、イエスキリストの教えのひとつである、「敵を愛しなさい」という教えは、敵を敵ではなく仲間とします。地球上にいる私たちが、敵を憎むのではなく、互いに愛し合えば敵はいなくなり、全員が仲間となり、戦争はなくなります。

イエスキリストは、マタイによる福音書の5章で、「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。、、、、しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と教えて下さっています。

現代でもイエス・キリストのメッセージは生きている

イエスキリストの時代から、およそ2000年の時が経過しましたが、今でも世界では争いが絶えず、悲しみの声が絶えることはありません。子供をなくした親の嘆きの声、親をなくした子供の悲しみの声、そういったものが地球上から絶えることはありません。

地球上の全ての人の心を変えることは簡単なことではありません。しかし、私たちは、自分の心を変えることはできます。自分の心を変えることも、簡単なことではありませんが、少しづつでもいいから変えようと努力することは可能です。

では、どういった方向に変えていくのでしょうか?

新約聖書には、私たちが変わっていくべき姿が、イエスキリストの姿として描かれています。イエスキリストの教えは、私たちが見習うべき模範です。私たちがイエスキリストを見習って、少しでもイエスキリストの品性の高さに近づけたら、そして、それが積み重なって、少しでも多くの人がイエスキリストを見習うようになれば、この世界は変わります。

人を変えようとするのではなく、まずは、自分が少し変わってみたいと思いませんか?

新約聖書の福音書は、イエスキリストの十字架と復活でしめくくられます。私たちの心の中には、汚れた部分があります。全て完全にきれいな心の人はいません。意地悪な人には仕返しをしたい、叩かれたら叩き返したい、自分が得をするとうれしい、困っている人を助けてあげられずに見てみぬふりをしてしまった事がある、誰でも心の一部にそのようなものを持っています。私たちは、攻撃してきた相手に反撃を加えると、心がスカッとする気持ちがあります。テレビのドラマでも、何倍返しという言葉がはやりました。私たちのそのような心を全て完全になくすことはできませんし、もう既におきてしまった事をなかったことにはできません。

イエスキリストは、そのような私たちに、「心配することはない、安心しなさい、あなたは完全でなくとも、私が罪をゆるし、救ってあげるのですよ。そして一緒に天国に行きませんか?」、そのように語り掛けて下さっているのです。これが、イエスキリストの良い知らせ=福音なのです。

祈り

天の父なる神様、私たちのために、イエスキリストを地上に送って下さり、本当の愛を教えて下さったことに感謝いたします。私たちは不完全で、弱く、罪の心を持つものでありますが、そんな私たちであっても、赦して下さり、天国への道を備えて下さったことに感謝いたします。イエスキリストが地上に来られ、私たちがイエスキリストの愛を学び、それに近づく努力をすることで、私たちはやっと安心することができました。心から感謝いたします。

どうぞ、この良い知らせを、一人でも多くの人に伝え、一緒にイエスキリストの愛を学び、支え合う友として下さい。そして、いつの時か、一緒に天国に入れて頂くことができますように。また、それまでの間、地上において、本当の平和と平安の人生を送ることができますように。言い尽くしえない感謝と願いを、救い主と信じますイエスキリストのお名前によってお祈りします。

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