コンテンツへスキップ 投稿日:2022年4月12日/更新日:2023年5月7日

カトリックとプロテスタントの違い

教会

キリスト教の歴史を検証することにより、カトリック教会の権威とプロテスタントの主張を比較します。カトリックとプロテスタントの違いは、その他多くの細かい部分がありますが、根本的な違いは権威の捉え方にあります。

カトリックとプロテスタントの違い

ローマ・カトリック教会の歴史

ローマ・カトリック教会がいつ始まったか、確かな年代は不明です。但し、その起源はイエス・キリストにあり、初代の教皇がペテロであったと、バチカンは主張しています。しかし、正確にわかる範囲でカトリック教会の歴史を振り返ってみます。

2世紀中期以降、徐々にカトリック教会の伝統が作り上げられたようです。ローマ帝国では首都ローマが、政治的、経済的な面はもちろん、あらゆる面において地方都市の模範になっていました。首都ローマの権力ゆえに、ローマ教会の内外への権限と影響力が、おのずと大きなものになっていきました。

その当事、影響力のある教会はローマ教会の他に少なくとも2つありました。エルサレム教会とアンテオケ教会です。その様な中で教会間の権力闘争が始まりました。(不思議なことに宗教界ではよく似たような話しがあります。)3世紀の初期ごろからローマ教会は、ローマ教会が使徒パウロとペテロによって建てられたという事を強調して、教会のリーダーであるべきだと主張し始めました。

ローマ・カトリック教会の権威を確立させた2つの出来事

その後、2つの重要な出来事が起きます。その一つはローマ皇帝コンスタンチンが、312年にクリスチャンになったことです。この事によりキリスト教がローマ帝国の国教になり、より権威主義的要素が強くなったのです。つまり宗教に政治的要素が入り込んできたのです。そして教会間での権力争いも激しさを増し、ローマ教会はその権威を一層強く主張しました。ローマ教会は、帝国の皇帝が教会員であるいう事もあり、権力を増していきました。最終的に、ローマ教会の権威に他の教会も屈服するようになりました。

第二の事件は、コンスタンチンが330年にローマ帝国の首都をコンスタンチノープル(今のイスタンブール)に移した事です。最初、この動きはローマ教会に不利に働くように思えました。しかし、事実はその逆だったのです。ローマ教会はローマから皇帝がいなくなったために、事実上のローマの支配者になってしまいました。そして、ローマ教会は、「コンスタンチン皇帝から皇帝が住んでいた城を譲り受けた」という文書を作成し、民衆に示すことによってその権威を内外に示したのです。ところが、15世紀にその文書は偽造された物であったことが発見されました。このような文書は初めから存在しなかったのです。これはカトリックの方たちも認めるまぎれもない事実です。

カトリック教会が主張する権威

カトリック教会が主張する権威には、根本的に2つの理論に基づいています。 

1.聖書の正典を定めた教会の権威

権威という観点から、カトリック教会の特徴をもう一度まとめてみます。第一の権威は、創造主なる神にあります。次の権威は教会にあります。聖書、神の言葉は教会の下にきます。なぜでしょうか。それは教会が、聖書の正典を定義付けしたからです。

2-3世紀には、現在、私たちが正典としている他に、多くの書物が諸教会で神の言葉として読まれていました。しかし、コンスタンチンがクリスチャンになってキリスト教がローマ帝国の国教として認められると、どの書をスタンダートとして正典に入れるかを決める必要に迫られました。その作業を教会が行ったのです。ですから、聖書は教会の下に位置するのです。

第三に影の権威として聖書があります。しかし、神と信者を結びつけるのは教会なのです。聖書はその手段に過ぎません。しかも聖書はラテン語で読まれていたので一般信者は理解できませんでした。現在のカトリック教会では聖書がラテン語で読まれているかどうかは私は知りませんが、しかし中世のカトリック教会においては、聖書をラテン語で読むことは、教会のサクラメント、儀式の中で非常に重要な要素だったと思われます。

2.使徒ペテロの権威を受け継いだローマ教皇の権威

カトリックとプロテスタントの違い

ローマ・カトリック教会の主張の大元になっているのが次の聖句です。

イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

マタイ16章15節-19節

イエス・キリストは、12人の弟子を選び使徒として任命しました。上記の聖句に基づいて、「その中の一人、使徒ペテロを教会の礎としてされたました。キリストはペテロの上にローマ・カトリック教会が建てました」と主張されています。

「使徒ペテロの後継者がローマ司教でありローマ教皇である」というのです。「世界中にいる司教が12人の使徒たちの後継者である」ともいわれます。 この2つの主張が、ローマ・カトリック教会の権威の根幹を成しています。

裏話:ローマ法王とローマ教皇はどちらの呼び名が正しいのか

解釈のしようによっては、どちらも正しいとも言えます。駐日バチカン大使館は、「ローマ法王庁大使館」という名称で呼ばれています。なぜかといえば、日本とバチカンが外交関係をもち始めた時、ローマ法王という名称が使われていたからです。マスコミにおいても、しばらく両方の名称(法王と教皇)が使われていました。名称の混乱を懸念した日本のローマ・カトリック教会は、1980年初めローマ教皇に統一しました。

日本政府は、2019年11月にフランシスコ教皇が来日した際、ローマ教皇に統一すると発表しました。この意味では、ローマ教皇が正しいとも言えますが、1980年以前はローマ法王と呼ばれていた事実があります。だから、どちらとも正しいと解釈してもおかしくはありません。 

ローマ・カトリック教会の権威のまとめ

「カトリック」という言葉は、ギリシャ語で普遍的という意味があります。この名称の意味も踏まえて、「ローマ・カトリックは、全世界のキリスト教を包括する教会である」と主張されています。

ローマ・カトリック教会の信仰の根幹は、ローマ教皇の権威にあります。ローマ・カトリック教会だけが、本物の教会であり、神によって霊的な権威を与えられている唯一の組織なのです。これが最大の特徴です。

ローマ・カトリック教会によれば、ローマ・カトリック教会だけが本当の意味で神の恵みを与えるパイプ役を果たしているのです。プロテスタント教会には、この権威が与えられていません。この伝統はいつから始まったのでしょうか。冒頭ですでに述べましたが、ローマ教会がその権威を主張し始めたのは3世紀初期までさかのぼります。しかし、すべての教会を治めているという圧倒的な権威を主張したのはいつ頃からでしょうか。不思議なことにローマ帝国を震撼させた2つの事件と同じ時期なのです。

  • 312年に皇帝コンスタンチンがクリスチャンになったこと
  • 330年に皇帝コンスタンチンが、ローマ帝国の首都をローマからコンスタンチン(現在のイスタンブール)に移転させてこと

4世紀から16世紀の中世ヨーロッパでは、聖書は、一般の信者の人々には与えられませんでした。祭司は教会に来た一般信者に聖書を読んで聞かせましたが、ラテン語で読まれていたため一般の人々には理解されませんでした。信者たちは、聖書を手にとって読む機会もありません。もし読んだとしても、ラテン語で書かれているため理解もできません。ここに、教会の権威の輝きどころがあります。教会だけが聖書を読む解く権威をもっていると、無学な信者たちに教えました。 ローマ・カトリック教会では、一般庶民が聖書を読むことができませんでした。

一方、宗教改革においては、一般庶民に聖書が行きわたるという革命が起きたのです。宗教改革者たちが、権威の焦点を教会から聖書に移したのも至極当然といえます。では宗教改革から生まれたプロテスタントについて考えてみましょう。

プロテスタント

プロテスタントの元々の意味は、英語で「抗議」という意味です。カトリック教会に抗議するという意味で後に付けられた名称です。初期の宗教改革のリーダーの中には、中学・高校の教科書にのっているルター、カルヴィンなどがいます。

そのプロテスタントの諸教会は、ローマ・カトリック教会の権威とローマ教皇の権威をまったく認めていません。プロテスタントの歴史を振り返り教理を検証してみましょう。

ルネッサンス期に始まった宗教改革

15世紀に入りルネッサンスの時代が始まります。芸術から科学技術まで、様々な分野で発展がみられました。その一つが印刷技術の発達です。新約聖書は、ギリシャから翻訳され印刷されて、民衆の手に渡るようになったのです。この時から、一般信者が聖書を自分で読むようになりました。ローマ・カトリック教会の手を借りずに、一般信者は聖書を読み理解するようになったのです。

このルネッサンスの時代の1517年に、マルチン・ルターは、教会の改革を求める95か条の提題を教会の扉に打ち付けました。宗教改革の幕開けです。後に、ルターの信仰義認の神学は、プロテスタント信仰の支柱になりました。

プロテスタント諸教会は、カトリックと同じように主イエス・キリストを信じていますが、教会の権威という観点からまったく違った信仰をもっています。同じキリスト教といっても、違った宗教といってもいいかもしれません。

カトリックとプロテスタントの違い

裏話 宗教改革者ルターは、カトリック信者として生涯をまっとうしていた

宗教改革の原動力にもなったルターですが、彼はローマ・カトリック教会の改革を求めただけであって、 ローマ・カトリック教会を離れて新しい教派を作るなど毛頭ありませんでした。事実、彼はカトリック信者として召されています。ルターの死後、ルターの弟子たちはルーテル教会という教派を作りました。話を本題に戻しましょう。

プロテスタント諸教会に共通した3つの主張

1.各々が聖書を読む機会が与えられるべきであると主張しました

この考え方は万人祭司といわれます。この教理は、ルネッサンスにおける産業革命で印刷の技術が発達したことにも関連しいます。カトリック教会では、一般の信者は聖書を所有できませんでした。ところが、この時代に聖書は英語に翻訳され、出版技術によって一般の信者の人たちに聖書が届くようになりました。このような環境の中で、各々が聖書を読むべきだと言う考えが浮かび上がりました。

2.信仰と神の恵みによる救いを宗教改革者たちは訴えました

カトリックの信仰では、信者は赦しを得るために、ローマ教会への巡礼、祭司への罪の告白などの様々な事を行ないました。恵みによる救いという概念は、残念ながら中世のキリスト教にはありませんでした。それを宗教改革者たちは正そうとしたのです。

3.教会の権威を認めながらも、聖書の権威を強調しました

聖書は信仰生活のすべての基準であり規範であると強調したのです。中世のローマ・カトリック教会では教会の権威によって、聖書とは他にいろいろな決まり事を作りました。これらの決まり事に、ある一部の宗教改革者達は反発を覚え、聖書の権威の重要さを強調したのです。

では権威という観点から、プロテスタント教会の特徴をまとめてみましょう。第一の権威はもちろん創造主なる神にあります。次に神の言葉である聖書に権威を置くのです。第三にクリスチャンの集まりであり共同体である教会に置くのです。

 どこに権威にあるかに関する結論

二つのグループを説明しましたが、今一ピンとこないと感じ方もいらっしゃるかもしれませんね。一番の違いは、権威をどこに置くかという点にあります。基本的に権威の順番が違います。

  • カトリックの権威は次のような順番になります。神>>教会>>聖書>>信者
  • プロテスタントの権威の順番は次のようになります。神>>聖書>>教会(信者の集まり)

ローマ・カトリック教会は教会が恵みの取次ぎ者として考えています。聖書の正典を決めた教会の権威は、聖書の権威よりも上にたつと考えます。ところがプロテスタントは、聖書、神の御言葉に権威があると主張します。その権威に基づいて教会形成をするのです。その反対にカトリックは、教会(ローマ教皇)の権威によって教会形成をするともいえます。

ここまで、カトリックとプロテスタントのそれぞれの歴史に基づき、その違いを述べてきました。これらの違いは客観的に明らかな違いです。カトリックとプロテスタント双方が認めている違いです。感想などコメントをお願いします。より良い記事、正確な記事を書く励みになっちゃいますので。お願いします。

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