自分の信仰を検証する3つの方法

盲目的な信仰にならないために「自分の信仰を検証する」3つの方法を提案します。このステップは、自分の信仰を客観的に見ることが要求されます。1.なぜ信じているのかを自問自答する、2.自分の判断を吟味する、3.他のクリスチャンの判断を吟味する。

1.なぜ信じているのかを自問自答する

自分の信仰を検証

信仰とは何か? 心の叫び、神との懸け橋

私たちは、なぜ神を信じているのでしょうか。なぜイエス・キリストを信じているのでしょうか。クリスチャン家庭に育ち、疑う余地はなかったという方もいるかもしれません。親の信仰が、そのまま子供に受け継がれたかたちです。ある人は、自分が尊敬する牧師の信仰をそのまま信じています。でも、いずれの場合も、「個人の信仰として、なぜ私はキリストを信じているのか?」という疑問には答えていません。「牧師が言っているから」では、それこそ盲目的な信仰と指摘されても仕方ありません。

一度、白紙の状態から自分の信仰を吟味してみましょう。何を自分は心から信じているかを、ノートに書き留めてみます。そして、根拠はどこにあるのかを答えてみましょう。

自分の信仰の検証を終えたら、盲目的な信仰を持たないために、次の2つのステップを実践します。

2.自分の判断を吟味する

自分の判断が100%正しいなんてありえない、と私は知っています。聖書を100%すべて正しく理解しているなんて、私にはあり得ません。(実際、誰にとっても不可能なことです。)自分が罪人であり、神の御心に反した事をしてしまうのも認識しています。健全な信仰とは、神を信頼すると、同時に、自分の愚かさを知ることではないでしょうか。

盲目的な信仰は、まったく逆の場合に生まれてきます。自分の判断に間違いはないという思い込みが、盲目的信仰を生むのです。自分の教会の教理は絶対に正しいとか、この牧師の聖書解釈に間違いはないと思い始めが、盲目的な信仰の第一歩です。

3.他のクリスチャンの判断を吟味する

同時に、他のクリスチャンの判断にも絶対はないのです。100%正しいということもあり得ません。たとえ、自分が尊敬する牧師の判断であっても、絶対はあり得ません。そもそもカルト的宗教集団が始まるきっかけは、ある宗教リーダーの判断を100%信じる盲目的信仰にあるのではないでしょうか。たとえ、尊敬される有名な牧師の聖書解釈であっても、それを自分自身で考え、検証する必要があります。それを鵜呑みにしていたら、盲目的信仰になってしまいます。

神を信頼することと尊敬している牧師を信頼することは、まったく意味が違います。神への絶対的な権威は、どんなにこの世が悪くなっても、また人が躓いても、変わることはありませ。神に間違いはないからです。

ところが、人間には間違い・過ちがあります。思い込みもあります。いくらある人を尊敬していても、神を信頼する同じ度合いで、その人を信頼するべきではありません。「この人のいうことに絶対に間違いはない」と思ったら、盲目的な信仰へのドアを開けて入場したことになります。悪魔が喜ぶ瞬間です。

いかがでしたか。盲目的な信仰にならないために「自分の信仰を検証する」3つの方法を提案しました。読者の皆様に、主なるキリストの尊い愛が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

  1. 盲目的な信仰ー他の宗教の場合
  2. 信仰に入るきっかけは?
  3. 外部リンク 「盲目的な信仰」と「理性的な精神」

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