罪の奴隷の7つの意味

罪の奴隷の意味は何でしょうか。主イエス・キリストは言いました。「罪を犯す者は、誰でも罪の奴隷である」と(ヨハネ8章34節)。罪の奴隷とは、人間の自己中心的な態度に支配されている状態を指します。 人間を奴隷状態にしてしまう6つの罪を説明します。

1.衣食住、安心感を得るために思い煩う

人には、身の安全や安心感を得るための気苦労が絶えません。具体的に言えば衣食住です。将来予想される大地震を心配している人もいるでしょう。またお金の猛者のような貪欲な人は、株でどう儲けるかのような事を一日中考えています。中にはいろいろな気苦労で夜も眠れない人もいます。まさに罪の奴隷状態と言えます。

2.神を「信じる」が難しくなる

同時に人は年齢を重ね大人になると、人を信じるのが難しくなります。誰かに委ねるのが難しくなるのです。常に自分が知る範囲で、安心感を持っていたいのです。宗教に関して言えば、日本人は保険をかけるように、いろいろな神社仏閣の神仏に祈りを奉げます。これも信じるのが難しい証拠です。心底は信じられないから、いろいろな神仏に拝みます。

3.おごり高ぶり、プライドゆえに、自分は他の人より優れていると思う

実業家でマスコミにもよく登場している方H氏がいますが、この方もプライドが高いお一人でしょう。大言壮語をするH氏のような人もいますが、人は誰もが隠れたプライドを心に秘めています。プライドは、他人と比較して優劣を決めて生まれてきます。誰もが持っている内心のプライドは、「私はあの人よりも優れている」と無意識に自分に言い聞かせています。このプライドは、他人を蔑む気持ちにつながります。

4.他の人を蔑む

プライドの裏返しは、他人を蔑む感情です。つまり「私はあんな下品な人と同じじゃない」のような気持ちです。口にこそ出しませんが、内心どこかで感じているのです。他人を見下げることにより、自分の自尊心を保っているとも言えます。

5.他の人がもっているものが欲しくなってしまう

衣食住を思い煩う心と強い物欲は、わたしたち人間の心をかき乱します。常に他人が持っている物と比較するようになり、他人がより高級なものをもっていると、自分も欲しくなってきます。ここにもプライド意識が働き、他人が持っている物以上の高級品を追い求めるのです。

6.自分が正しいと考える

なぜか人は「自分の判断は正しい」と考えます。自己嫌悪や劣等感といったネガティブな感情でさえ正しいのです。「自分がこのような感情をもっているのは、他人のせいだ」と責任転嫁して、さらに状況を悪化させてしまいます。このような人にとっては、「自分は正しい、他人は間違っている」という枠組みの中で社会は成り立っています。

自分の正義という概念は、負の連鎖反応を起こしています。自分の正義の感情は、相手がどれほど間違っているかを証明するという使命感を与えてしまうのです。実際にこのような人に出会った経験は誰もあるのではないでしょうか。というよりも自分が、そのままの愚かな行為をしている可能性だってあります。

7.他人の不幸を見て内心ニヤニヤする

最後に、もっとも残酷な罪の現実を考えてみましょう。わたし自身、耳をふさぎたくなるような罪の現実です。私たち人間は、他人の不幸を見て内心ニヤニヤするときがあります。他国が自然災害で苦しんでいるのを見て、そのような感情を抱いたことはないでしょうか。告白します。私はあります。自分の問題として捉えられないだけではありません。問題は、内心ニヤニヤしている事実です。

上記の罪のリストは、次の本を参考にしています。Ted Peters, Radical Evil in Soul and Society

結果として、わたしたちは、混迷した世で生きている

罪の奴隷

私たち人間がいくら善を行ったとしても、人間の力には限界があります。むしろ、ここまで述べてきた罪の影響力は留まるところを知りません。際限なく人々の心を蝕んでいきます。結果的に、わたしたち人間は、お互いに苦しむような社会をつくっているのです。

諸悪の根源は、人間自身にある真実に目をむけるべきではないでしょうか。

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