コンテンツへスキップ 投稿日:2022年11月22日/更新日:2023年5月7日

宗教は弱い人のためにあるのか?

宗教は弱い人のためにある

管理人が、ある人と聖書の学びをしているとき、この方は次のように言いました。「結局、宗教は弱い人のためにあるのではないでしょうか。キリスト教は、自分の罪、弱さを認める訳だからその最たるものでしょう。」この言葉には、多くの日本人が(カルト宗教にはまっている人は別)共感できるかもしれません。でもこれは本当でしょうか。

宗教嫌いな日本人が、なぜ宗教に走るのか

昨今、様々な宗教団体が活動を行なっています。 その中には社会問題になった団体があるのは、周知の事実です。日本人が宗教的なアレルギーを持っている事実は、よく指摘される事です。100%信じて、初詣やお宮参りに行ったりする人は少ないでしょう。これらの宗教的な行いは、日本人の文化の一部として根づいているものですし、 習慣のようなものです。

宗教的なアレルギーにもかかわらず、それでも数多くの人たちが新興宗教に走るのはなぜでしょうか。まず、第一の理由は入信する人たちは何か心に満たされないものが人生にあり、それを満たされたいと宗教団体に入るのでしょう。 「この宗教ならば満たしてくれるに違いない」とか「この人を信じれば大丈夫だ」と思い入信するようです。 人間、誰もが持っている幸福願望のために宗教に入るのではないでしょうか。


第二の理由は恐れです。地獄に行くのが恐いからとか、 死後の世界での裁きが恐いからと言う理由で、宗教団体に参加する人がいます。第三の理由は、この世で生きている間に物質的に恵まれたい と思い宗教に走る人がいます。日本のほとんどの宗教は御利益宗教です。信じれば何か良い事がある、また御布施をすればもっと恵まれる と言ったものです。つまりGive And Takeの関係なわけです。

人間は元々弱い

宗教は弱い人のためにある

これらの人は弱いのでしょうか。人間は元々弱いものです。それを弱いと言うのが、そもそもおかしいのです。自分ひとりで生きていくことは出来ないのが、人間です。自分を信じれば何でも出来ると言っている人でも、実は何らかの形で他の人にお世話になっています。

人間は、常に何かに頼って生きています。子供の頃は、親兄弟に頼って育っていきます。大人になれば、会社と言う組織に頼って生きていきます。家族に頼って生きていきます。持ちつ持たれつです。宗教に頼るのは、このような例に過ぎません。

すべての人間が、何かに頼って生きている現実を見れば、宗教に入る人が弱いと誰が言えるでしょうか。それを言っている本人でさえ、弱いのですから。

見栄を張り自分の弱さを認めない人は、強いのか

この世には、見栄っ張りな人が多くいると感じたことはないでしょうか。自分の弱さなど微塵も見せたくないタイプの人です。このような人は強いのでしょうか。自分の弱さを見せないために、仮面をかぶっているだけで、本当は弱いのです。このような人は、本当の自分を見せられない臆病者かもしれません。

「弱い犬ほどよく吠える」と言われます。同じような意味で使われる四字熟語、「内柔外剛」があります。人間の深層心理をついている言葉です。

このように考えてみると、「宗教は弱い人のためにある」なんてことは、まったくありません。実は、キリストの教えにはもっと奥深い真理があります。自分の弱さを認めて、逆に強くなってしまう真理があるのです。次の記事も読んでみてください。

「宗教は弱い人のためにあるのか?」への3件のフィードバック

  1. 我が力は弱きところに完全に現れるというパウロの言葉があります。私たちは弱い時に神様の力が降り注ぎます 弱さを誇り、弱い立場にいる人たちに目を向けて歩みたいものです。

  2. コメントありがとうございます。おっしゃる通りです。日々、自分の弱さを感じてしまいます。だからこそ、人にも優しくすべきなんでしょうね。

  3. 聖書の中の弱き人々が神の御力によって強められ従う姿を学ぶ度に本当に励まされます。私達が弱くても主と共に生きる時、ますます力を与えてくださいます。感謝です。

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