「憐れみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです」の意味は何でしょうか。キリストが教える真理は何でしょうか。
神との関係と人間関係
キリスト者の神との関係は、その人の人間関係からかけ離れて存在しているわけではありません。ある人の神との関係は、その人の人間関係と相互関係にあるのです。ある人がこんなことを私に言いました。「神との関係がしっかりしていれば、人間関係がどうであれ気にしない」と。これは誤った考えです。マタイ5章7節で教えられている真理が、旧約聖書には次のように書かれています。
あなたの慈しみに生きる人に、あなたは慈しみを示し無垢な人には無垢に。 清い人には清くふるまい心の曲がった者には背を向けられる。
詩編18・26-27 聖書協会
マタイ5章-7章全体に、「神との関係と人間関係」の基本原則が教えられています。他人を厳しく裁く人を、神は同様に裁かれます。「もし人の赦さないなら、父なる神もあなたがたの過ちを赦さない」とも書かれています。
私たちの人間関係は、創造主なる神との関係に必ず反映しています。日々の生活でどのように過ごしているでしょうか。隣人に愛、誠実、親切に接しているでしょうか。そのような態度が、自分の心の成長にも不思議とつながっているのです。
マタイ5章3節ー11節は、それぞれ心の持ち方をキリストは教えています。その一つ一つが、自分と創造主なる神がどのような関係を持つべきか、また隣人とどのように接するべきかを説いています。
仏教の因果応報の考え方との比較
しかし、「仏教でも同じようなことを言っているのではないか」と思う方もいるかもしれません。仏教用語の中に「因果応報」という言葉があります。辞書によれば「人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがあるということ」と書かれていました。確かに、上記の聖句と同じ人生原則が示されています。
なぜでしょうか。人間には、神によって良心、善悪を判断する能力が与えられているからです。現実社会を観察して、そこから真理を見出す能力が与えられているのです。しかし、人間の良心には限界があります。私たち人間が知るべき人生の真理の半分も、知り得る事は出来ないでしょう。
生きにくい世の中で、豊かな人生を生きるための神の知恵
夏目漱石の小説に次のような言葉があります。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」確かに名文ですね。草枕の冒頭に出てくる明文です。理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまって、とかく、この世は生きにくいというわけです。参照 JLogos
確かに、生きにくい世の中で、私たちは生きています。だからといって、人生に失敗する必然性はありません。むしろ、神の力と知恵をいただき、豊かな人生を生きる処方箋が与えられています。他人に憐れみを施し過ちを赦せば、自然と人間関係が改善されるでしょう。当然、神の祝福も受けるのです。
主イエス・キリストは私たち人間のあるべき姿、すべての真理を教えてくれています。だから私たち人間は、イエス・キリストの教えに耳を傾けるべきなのです。感想などお待ちしております。