コンテンツへスキップ 投稿日:2022年4月25日/更新日:2023年5月4日

人間が動物と違う5つの点

人間は動物ですか

人間は動物ですかの疑問にお答えします。人間は動物と違うことを5つの観点から説明します。「人間は動物の一種である」と考える人たちは、少なくはないです。もし「動物は動く生物」と考えれば、確かに人間も動物の部類に入ります。参照サイト:人間も動物の一種だという自覚がない人多くないですか?

1.現実の自然界を見てわかる人間の自然界における影響力

動物を含めた世界に目を向けてみると、「なぜ人間だけが他の動植物とは違うのだろうか」とは思えないでしょうか。人間は、他の動植物とは違う特質をもっています。単に自然淘汰されて、人間が他の動植物を支配しているようになっているのでしょうか。

聖書によれば、人間は自然界を支配するように定められています。人間が、いつの時代もどの文化でも動植物を支配しています。この事実だけでも、人間が動物とは違うという証明になるのではないでしょうか。

2.現実の自然界を見てわかる人間が自然界に及ぼす悪影響

人間は動物ですか

人間は、本来、自然と調和するように造られました。しかし、人間は自然を破壊するだけで自然と共存できていません。人間は空気を汚染し、世界中の森林を破壊しています。動植物の住まいを奪い去ってしまっています。その結果は地球温暖化です。

私たち人間は誰でも、神を信じていなくても、神が創造した自然の恵みに感謝します。同時に、その自然を破壊して、動物にとっても人間にとっても、住みにくい世界にしているのです。地球温暖化に付随するように、食糧不足が懸念されています。これらの悪影響は、動物たちが作り出したものではありません。人間だけが成せるわざなのです。

3.動物の弱肉強食とまったく違う人間の弱肉強食

私たち人間が生きている目的は何でしょうか。ある人の人間の本分の定義には、「種の保存です。遺伝子を残し、子孫を残すことこそ生物の本分」と書かれていました。この意味では、人間は他の動植物と変わらないわけです。

進化論の観点から言えば、人間も土の中にいるミミズも存在意義に変わりはありません。人間の本分もミミズの本分も同じです。しかし、自然社会から、生物の命の現実を見てみましょう。人間以外の他の動植物が、子孫繁栄の下に弱肉強食の世界で生きているのは確かな事実でしょう。

人間は動物ですか

動植物の世界では、強い者が生き残るという原則があります。この原則に悪は存在しません。子孫繁栄という原則、子孫を残すことこそ動植物の本分だからです。動植物の世界では弱肉強食は悪ではありません。

しかし、人間社会では、弱肉強食は悪です。弱い人を助けないのは、人間社会では悪です。どこの国、いつの時代でも悪です。なぜなら、人間の心には良心があるからです。人間は娯楽のために動物を殺します。猟です。日本ではあまりポピュラーな娯楽ではありませんが、アメリカでは男性の娯楽としてとてもポピュラーです。

動物たちは、娯楽のために他の動物を殺すことはありません。お腹がいっぱいのライオンはどうでしょうか。鹿がそばを通っても寝ています。動物は、子孫繁栄の本能のもとに生きているからです。

4.人間と動物の創造力の違い

人間の創造力と動物の創造力に違いはあるのでしょうか。たとえば、ハチは、ハチの巣を造ることができます。人間がすべての科学技術を使ったとしても、ハチ以上に精密に作ることはできません。しかし、ハチはハチの巣しか造れません。それに特化しているんです。クモは、クモの巣を造ることが出来ます。これらの動物や昆虫は、それぞれ特化した技術を持っていますが、それ以外の物は造れません。

しかし、人間は様々な物を造る創造力が与えられています。古代から様々な文化で、いろいろなものが発明されてきました。科学技術によって私たち人間は、多くの物質的な恵みを受けています。これらの技術革新や発明は、人間が創造主なる神から受けている創造力によってなされているのです。

4.人間だけが持っている理性と善悪の基準

犬を観察していると、彼らにも判断する能力があるとわかります。感情もあるようです。しかし、犬の善悪の判断は、飼い主である人間に委ねられています。犬には、人間がもっているような理性と善悪の基準はありません。人間だけがもっているものです。

人間には、動物を支配する権威が与えられています。どのように動物を人間は支配しているのでしょうか。動物園にいる動物を、どのように飼育員たちはトレーニングするのでしょうか。食べ物を使って、動物の本能に訴えているのです。飼育委員のいうとおりに従えば、ご褒美として食べ物を与えます。このような訓練は、人間が理性によってなせるわざなのです。

外部リンク 人間と動物との違いは理性があるかないかだと聞いたことがあるのですが、本当に理性がある動物は存在しないのでしょうか?

5.人間だけが持っている罪深い心

アメリカの犬は、日本の犬と違うのでしょうか。アメリカの犬はどこか明るくて、日本の犬は控えめということはあるのでしょうか。そんなことはありません。どこの国に行っても犬は、犬なのです。犬の性質をもっています。人間も、実は同じです。文化は様々ですが、人間が考えることはいっしょです。

各国の世界地図を見てください。どこの国の世界地図も、必ずその国が真ん中に位置されています。つまり人間は、国単位でも個人単位でも自己中心的なのです。この人間の性質に、人種の差や文化の差などありません。みんな人間は、同じように罪深い心を持っているのです。

世界中のどの争いごとも、元をたどれば「自分は正しい。自分には正義がある。相手は間違っている」という考えから始まっています。2人の人間または国が、お互いにそのように考えていたら、必然的に争いになるに決まっています。

動物は、このような善悪の判断基準では争いません。動物は、子孫繁栄というサバイバルのために争うのです。たとえば、2匹の雄ヘビが、命をかけて死ぬほどまでに戦うのはなぜでしょうか。動物の雄は、何の動物であろうとも、子孫繫栄という本能のままに戦っているからです。

なぜ人間は、これほど動物と違うのでしょうか。その答えは、私たち人間が創られた原点にあります。

人間は、動植物とは区別され、神に似せられた者として創造された

人間の本分

聖書には、「人間は神に似せられた者として、動植物とは区別されて、神によって創造された」と書かれています。これは本当でしょうか。これが嘘であれば、私たち人間は、土の中に生きているミミズと同じように、本能のままに生きていけばいいのです。しかし、上下左右360度どう考えても、自分がミミズと同じ目的と本分をもっているとは考えにくいでしょう。現に明らかな違いがあるからです。生命だけの観点から見れば、ミミズも人間も違いがない?とも言えますが、生命の形状が違います。生命の目的が違います。

「人間は神に似せられた者として、動植物とは区別されて、神によって創造された」と聖書には書かれています。この文から「神と創造」を削除して考えてみましょう。「人間は動植物とは区別されて存在している」と考えられないでしょうか。これには賛同できる方が、多いのではないでしょうか。

もし「人間は一種の動物である」、「人間は他の動物と何ら変わりがない動物の一種である」と主張するにであれば、上に挙げた人間と動物の違いをどのように説明できるのでしょうか。

いかがでしたか。人間と動物の違いについて考えてみました。読者の皆様の上に、キリストの愛がそそがれますように、心よりお祈り申し上げます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です